踊りはじめる高校生 1996年 夏 16歳

中学生時代に香港で2年半を過ごした僕は、高校入学のタイミングで札幌に帰ってきました。
高校2年生になり、あまり覚えていないのですがバスケ部に入ってそれなりに楽しく学校生活を送っていたような気がします。


ある日、テレビのニュースでDJ HONDAさんという方が世界の有名なDJの大会で優勝したということを知りました。

この時がHIPHOPとの出会い・・・と後に語っていた時期もあったのですが、よくよく考えたら香港に住んでいた時によくMTVを見ていたのでKris Kross、TLC、Arrested Development、Run DMCなどは知っていましたし、聞いていました。

そのニュースを見る前か後かは今となってはよく覚えていないのですが、この時期にNasやThe Fugees、CoolioなどでHIPHOPやR&Bに強い興味を覚えていて、ニュースを見た時に直感的に「DJになろう」と思い立ちました。

当時、お年玉などを貯めた貯金が5万円くらいあったので、DJになるべく全財産を握りしめてPARCOの島村楽器へと勢いよく向かいました。
ところが。
高校生の僕には、DJセットはあまりに高すぎました。
そして、自分はあまりに無知すぎました。

結局買えたのはTechnicsのターンテーブル1台のみでした。
ミキサーもアンプもスピーカーもないですけど、ターンテーブルとNasのレコードを買ってきてコンポに繋いで聴きました。
コンポだと音量を最大にしても大した音量が出ないんですよね、「音ちっさ!!」と衝撃を受けたのを覚えています。
それでもレコードが回っているのを眺めていることが、幸せだったような記憶があります。


あっさりとDJになり損ねた僕でしたが、今一度HIPHOPに触れる機会が訪れました。
ある日クラスの隣の席の女の子から
「友人がHIPHOPのダンススクールを始めるので来てみない?」
と誘われたのです。
同じHIPHOPでもダンスならあまりお金がかからない!
ということに気が付き、友人と一緒にさっそく行ってみることにしました。

ダンススクールには同い年くらいの若い子がたくさんいましたが、男の子はあまりいなかったので僕らは先生にかわいがられました。たぶん。
思春期真っ只中、女の子の視線を意識しながら踊ることに心が浮ついていた気もします。

通い始めてからはどんどんストリートダンスにハマり、新しい仲間もできて毎日一緒にストリートで練習するようになりました。
最初は「女の子にモテたらどうしよう?」と煩悩に満ち溢れていましたが、徐々にダンスに対してストイックな感じになっていきました。


ただ、僕はバスケ部だったので、しばらくは練習をサボってダンスをしていましたが、毎日踊るようになってからはそのままという訳にもいかず、顧問に辞めると告げなくてはいけなくなりました。

部活の先生ってなんであんなに威圧感があるんでしょうかね、体育教師だからですかね。
「ダンスをやりたいのでバスケ部をやめます」
って直前まで言おうと思っていたのですが、いざ先生を前にするとなぜか
「サッカーをやりたいのでバスケ部をやめます(高校にはサッカー部が無かった)」
と言ってしまいました。

あまり気にする必要もない小さな嘘なんですけど、なぜか今でも覚えています。
自分の小ささを実感した出来事の一つだったのかもしれません。

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