【#9 人生体験記】転校・進学による人見知りの自覚

あなたは自分が人見知りだと思うか。
思うのであれば、いつから人見知りだと自覚しただろうか。

私は、人見知りだった。
(過去形で書いているのでは、留学を経て、人見知りではなくなったため。※この話は別の記事で書きます。)
そんな自分が人見知りだと自覚した瞬間を共有したいと思う。


人見知りの自覚①(転校)

人見知りを最初に自覚したのは、小学校卒業時に、静岡県から神奈川県に引っ越した時だ。(厳密には転校ではないが)

環境が180度変わり、知っている人が全くいない社会で生活しなければいけなくなった。
特に中学生は、オラついている人もいて、最初の数日はとてもビビっていた。
自分が何か話したらいじられるのではないかと感じて、自分から話すことができなかった。
そんな状況が数日続いたが、学期初めのグループワークや部活動の体験入部の話で一気に打ち解けることができた。
自分から話に行くことはなかったが、相手から「どこ小出身」なのと話を振ってくれたりして、何回かしゃべることで打ち解けることができた。

この純粋さはクラスメイトの人の良さもあるが、子どもならではの距離が縮まる速度が速いことが影響していると思う。

話しかけれくれたクラスメイト、ありがとう

人見知りの自覚②(高校時代)

そして、人見知りを自覚したタイミングの2つ目は高校時代だ。
高校は1学年400人弱の高校で公立の中では規模が大きい学校だった。
同じ中学校から進学した人が数人しかいないのと野球部に所属していたこともあり、基本野球部メンバーと一緒にいることが多く、野球部以外に気がしれた友達ができなかった。

人見知りだと気づいたのは部活動を引退し、受験勉強に入った時に気づいた。
「そういえば野球部以外に親友と呼べる友達がいないな」と感じて、自分って人見知りなのかなと気がついた。

高校時代は、本当に自分が悪くて、休み時間はクラスから飛び出して、野球部といることが多いし、部活のオフの日は家にいることが多かった。
自分から何か外の人と絡んでいこうというのがなかった。
中学時代同様に自分から話しかけることはまだ躊躇があった。
今となっては後悔しているが、貴重な社会勉強になった。
昔の自分に言いたいのは、「自分から声掛けて、一緒に昼飯食べたり、交友関係を広げろ〜!」
勇気がいることかもしれないが、同じように自分から話せない人はいるだろうから話に行ってあげて!だし、自分から話を持っていたところで話が弾まなくても、何もマイナスなことはない。

まとめ

小学校時代は保育園からの友達がいて、閉鎖的なコミュニティだったが、いざ外(開放的な環境)に出てみると、コミュニケーションに関する自分の個性に気づくことができた。
人見知りでもいいと思うが、いろんな人と話したほうが楽しいと歳を取るにつれて感じている。
また、人見知りなどなく話せる人は積極的にいろんな人と話をして、心の扉が重い人の扉を開けるのを手伝って欲しいと思う。
そうすることで、その人の真の良さに気づくことができるし、気がつけば他の人との友好関係作りに役立っていたりと、与える影響は大きいだろう。
今は自分が扉を開ける手伝いをして、多くの人が感情をシェアできる環境を作ろうと思う。

最高な人生を!
アディオス🖕

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