見出し画像

口笛吹いて寄り道できる町創り

『地球が教室 北海道』
私が福代表を務める札幌市市民活動団体です。
携わるきっかけになったのは東日本大震災。
あの時会社員だった私は、夢や希望なんてことすら考えることもなく、子育てや家庭のことも妻に丸投げして(押し付け)、毎日を漠然と過ごし、世の中の問題なんて他人事、テレビや新聞の情報を何気に眺めているだけの男でした。
でも少しだけ変わったことをやる男で、後輩たちの恋人いない・結婚できないの相談を受けて「合コンコーディネーター」を名乗り合コンを企画開催してました(笑)
当時、会社の中でも破天荒な生き方をしていた尊敬する上司が、自身の関わっていたNPO活動へ注力すると会社を退職。その方が主催するセミナーに会社をさぼって参加。
そのセミナー最中に、あの大きな揺れをノルベサの会場で感じ、携帯で見た津波映像。
今まで感じたことのない、自分を突き動かす何か。

きっと多くの人が感じた「何かしなくちゃ」。
でも、仕事がある、現地に行く調整が取れない、どうしていいか分からないetc.
自分の出来ることをやる。そんな考え方すらも知らず、悶々とする日々。
その時に偶然知ったボランティアバス。
今までは人に言われたことにしか反応していなかった私が、きっと初めて自分の意志で選択・行動をしたのがこのボランティアだったかもしれない。
2泊3日での現地でのボランティア作業。

震災から半年経過していたものの、現地の状況は言葉にならないほど壮絶。
特に初回のバスは、釜石・大槌と町が壊滅状態の地域。
でもそこで現地の人が話してくれたお話で、私は人の生きる力・希望があることの大事さを感じたんだと思う。

10m以上の高さの木にぶら下がっている衣類片を指差して
「津波はあの高さまで来た。この世の物とは思えない光景。町が飲み込まれるのをあの高台からみていた。全てを失った。。。でも悲しんでいても何も変わらん。私はこの町を今まで以上に素晴らしい町に作り上げるんだ。今は何にもないけど、命だけはある。亡くなった人々が生きたかった町を作るんじゃ。それが私の生きる力だ」

そんなこんなで自分の行動の幅を広げ、会社と家の往復だった毎日から、ランチ会に出たり交流会に出たりセミナーに参加したりの毎日へと生活が変わり(当時妻には呆れられていたけど)、色々な生き方・仕事・考え方に触れること約1年。

この「地球が教室」の活動を一緒にやろうとお誘いを受けたのが11年前。
当時はホイホイ誘われるがままゆえ、活動の中身もわからず、打ち合わせも身が入らず。
今では、毎回涙する映画を見ても当時はまるで心動かず。
そんな私のスイッチが、あるキッカケでON。

あれから10年。
この活動がきっかけで、8年前にはみんなの夢が描かれた「夢ハンカチ」を天に近い富士山頂へと届けるべく、会社を退職。
小中学校を中心に「いのちの授業」開催の依頼が年々増え、今まで開催校は100校を超えて、大学や専門学校、精神医療の現場等、子供から大人まで多くの方の心に届けられるまでになりました。

昨年からは、「サッポロサタデースクール」いう文部科学省の進めるコミュニティスクールが平日での授業化への試験的取り組みに関わり、多くの人が学校授業に関われることになってきた。
子供達に小さい頃から社会を知り、プロから学び、たくさんの経験をしてほしい。

そして、多くの人たちに支えられ、多くの人の助けになっている自分を大切にしていってほしい。

昔から言われていることですが
学校・家庭・地域など、子供達を取り巻く大人の力、関わり、子どもたちへの関心が必要です。

そのために大切なことってなんだろう。
色々な活動、経験、出逢いを通じて
私なりに達した結論。
    『楽しいこと!遊び!祭り!』

もっと楽しく、遊びの要素を取り入れて、歴史や伝統を重んじながらも、みんなで楽しめる活動をやっていきましょう。

小中学校、大学、専門学校、教職員、精神疾患、LGBTなどでの講演や対話を通じて学んできたこと、そして出逢いと対話を通じて成長させられている自分の体験・経験をもっともっと発信していきたいし、もっともっと多くの人が語り合える安心できる場所が求められている気がします。

青少年育成委員会という札幌市の活動~その主な活動にもこんな記述があります。
「子どもたちのために自らも学びます」

誰かのせい、環境のせい、教育のせい、政治のせい
いつも他人のせいにしていたものは、
自らの学びと成長により克服されていくのだろうと思います。

「自らの学びの場、人生の語り場、安心・安全保障感の場」を
地球が教室北海道としても創っていきます。

「口笛吹いて寄り道できる町創り」
俺は忙しい

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?