【独り言】空想タイム
突然ですが、
わたしは空想することが昔からすきで、というよりむしろ、そんなことをするのが日課でした。
みなさんも、そんな時間、ありませんでしたか?
空想って、すごく自由で、解放された世界で、小さい頃ってみんなやっていたと思うんですよね。おままごとをするときに、ちょっとだけ自分の理想の設定に変えてみちゃったり、お絵かきの世界では、決まりなんて考えたことなかった。きっと、思い描いていた夢も、枠にとらわれないで、思いっきり自由に想像できていたと思います。そんなことをしていたはずなのに、いつしかその日課すら、忘れてしまっていました…
現実の世界にある、日常について考えること… 何をすれば効率がいいとか、ためになるとか、仕事のこととか、お金のこととか、勉強しきゃとか…
そういうことを考えることがきっと大切なんだ、自分のためにも、周りの人のためにもなるんだって、どこかで迷いながらも、そんなことを信じていたのかな。
でも最近、そんな自分に少しずつ、違和感というか、疑問というか、不思議に感じる部分が出てきてしまっていたんですね。
なによりも、私のカラダが一番、正直です。
「本当は、こんなんじゃないよーー!!!」って、悲鳴を上げ続けていたことに、ようやく?気づけたのかな。
30年以上も… ごめんね。
さて
ここからは、私が小さいときのおはなしです。
私は、年少さんのときだけ通っていた幼稚園が、すごく好きでした。
母から聞いたところによると、自分でここに行きたいと、希望したそうです。1クラスに3人も先生がいたから、よーく話を聞いてくれて、みんなのびのび、のんびりしていて、穏やかで。画用紙何枚でも絵を描かせてくれて… 楽しかったなぁ。
それでね、母と手を繋いで通う幼稚園の行き帰りに、一緒に歌を歌ったり、道端に小さなお花をみつけて喜んだり、パパに内緒だよって言って、ドーナツ食べたり…
そうやって、ゆっくり流れる時間が何よりもしあわせで、あたたかくて、くすぐったくて。はしゃぎたくなるくらい、楽しかったんじゃないかな。たくさん笑っていたなって、それが日常だったなって、思い出します。
でもね、大人になるにつれて、急速に環境は変わっていったんです。
周りの大人に配慮したり、気を遣ったり、作り笑いをしたり、たくさん、たーくさん考えることがあって…
いつのまにかそういう時間は、過ぎ去っていました。
でね、最近気づいたのは、やっぱり小さい時に考えていたこと、感じていたことって、すごーく、私の真髄なんだなっていうか。からだの一部、いえ、大部分はそれでできていると言っても、過言ではないのかなって思ったんですね。
例えばですけど、お花を観察してるだけで、たぶんずっとお花とお喋りできちゃうんですね。それってきっと、大人になってやってたら、何やってんのってなっちゃう(実際、高校生のとき、試しに空想していたとおりにいろいろやってみたら、案の定、壮大な仲間はずれにされて、痛い思いもしたので、とてもわかるんですけどね…)
でも、だからって周りの目を気にしてばかりいて、顔を硬直させて歯を食いしばって生きてても、それってなんか違うんだなって…
最近やっと気が付きました!(遅いですが)
だからね、小さい頃から、ずっと楽しかった空想タイムは、私にとって、お花に水をあげるのと一緒で、欠かせないものだと思うんです。
そうやって、空想を重ねていったら、いつの日かそれが、本当にやってくるんじゃないかな〜なんて、夢見ながら…ね。
今夜も、いい夢がみれますように…
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