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インドネシアの文化について押さえときましょか

今日のBGMは「Meraih Bintang」。

2018年ジャカルタで開催されたアジア大会の
オフィシャルソングの一つです。

リズムはインドネシア音楽文化の重鎮、
「ドゥンダット」というジャンル。

こちらも生豆100%じゃなくて
ブレンドカルチャーですw

この「ブレンド」の素材・出自が
とにかく幅広い。

バリ島が世界的リゾートとして
有名になっていったプロセスも

「島外の出自」がええ仕事をしたワケです。


そも。そも。

「インドネシア」って最初っから
明確な領地や領土の線があったワケぢゃない。

バリ島はただ「バリ島」だったんですもん。

自然崇拝がメインだった紀元前後辺りは
今のヒンドゥーの面影はまだなくて

どっちかというと海を行ったり来たりしてた
インドとか中国とか、

4大文明として先に発展を遂げた人々が
文化的な影響をもたらしたっぽい跡があるとか。

そのあと、
インド・中国と陸路で続く国々には
仏教が、

マレー半島経由で
海路へ続くラインには
ヒンズー教が伝わり。

はい、バリ島はどっちでしょう?
・・・なんでクイズ形式やねんw

海路ですからヒンズー教が流れこんで
来たワケですね。

その頃には政治や王政みたいなものが
出現していて

ちゃんと王国や王朝という政府がえ
存在したのですが、

バリ島って
親分みたいなジャワ島の隣やん?

一歩間違ったら
陸続きやったんちゃう?くらい。

そんな空気も読まなあかんかって
王朝や王国が変遷しても

バリ島はまあ、ジャワに立ち上がる王国・王朝と一緒に
発展して来たってゆうね^ ^

それが今は

ジャワはイスラム
バリ島はヒンズー、

でちゃんと違う道を歩んで
世界ナンバーワンリピート率の観光地に
なってるんやからすごい。

なんでそんなにバリ島は
世界の日の目を浴びたのか?

ってゆうと。

バリ島はおらのだ。
バリ島はおらんだ。
バリ島はオランダ。

「オランダ」の仕業ですw

実はインドネシアの領土って
これも間接的には

「オランダ」

が作ったものでして。

世界史の本で暗記だけしかしたことない
「東インド会社」。

ここに出てくるん!?

そうなんです。

まとめると、
オランダが海の貿易のために
必要な港を作って

ひとーつ
ふたーつ
みっつ

と作っていくうちに

それらが線でつながって
「寄港地」の集まりだったのが
「なんとなく東インド会社のあたり」

みたいに点が線になってったんですね。

そもそも、港作ったんは
オランダ本国へ物資を調達するためだった。

ところが
点 →→    線 →→   面

へ大変身。

なんと物資を本国消費ぢゃなくて
現地消費させるというワザに出た。

そう。
物資を買い付けるんじゃなくて
物資を現地で自分たちが生産して
現地で売る。

こうして
東インド会社の経済的支配が
オランダ本国の政治的支配へ

これまた大変身してったんやねえ・・・

さらに点を増やし
さらに線を延ばし
さらに面を広げ

東インド会社の最大面となった範囲が
現在の「インドネシア」の国土になったと
いうワケです。

植民地化する時ってだいたい
言語支配
政治支配
教育支配

が3拍子揃うんだけど

東インド会社の陣地に入っちゃった
島々にも

主に両家や階級の高い層の子女に
教育支配はおよび

領土内のほぼ全島々から
そういう坊(まだ嬢が学ぶ時代ぢゃなかった)たちが

ジャカルタ(当時はバタヴィア)の学舎に集い
オランダ式高等教育を受けていくんですね。

で、知恵をつけると気づいてしまう。

「あれ、オレら理不尽な扱い受けてんじゃね?」

と。

で、独立への最初の空気がオギャアと生まれた時期、
「オレらの国やん!」ってなるやん?

そのオレらってつまり
高等教育の学びへ集った者たち。


彼らの出身地の範囲が

つまり

東インド会社の最大面積とおんなじ

つまり

「インドネシア」

という国の広さと境界になったワケです。

でも、だからって
物資がオランダでさばかれるだけやったら
バリはこんなに有名になってない。

じゃあなんでなん?

を次の記事でご紹介していきます。


更云サリ

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