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バリ島の文化についておさえときましょか

写真はバリ島はウブド。

私の聖地「サラスヴァティ寺院」の敷地内には
カフェが2つあり、

ひとつはあの有名な
ウブドのスターバックス。

もう一つがここ、
カフェ・ロータスです。

どちらも欧米人をはじめ、
多国籍なゲストでいーーーっぱい!

確かに価格帯はローカル人が
日常手が出るコーヒーじゃないですけどね・・・

東インド会社の隆盛に伴って
バリ島も全島オランダの支配下となります。

当時は東インド会社関係者が
バリ島を出入りする程度だったものが

ヨーロッパのメディアに
「最後の楽園」として「発見」されたと
紹介されたことから

バリ島にヨーロッパの一般人スポットが
当たりはじめます。

しかし「発見」て・・・・
コロンブスかw

バリ島に滞在したグレゴール・クラウゼが
出版した写真集、に魅せられた人、
続出。

Mr,クラウゼはDr.クラウゼ。
そう、お医者さんの出した写真集ですわ。

彼の写真の腕に加えて
よほど、バリ島の楽園っぷりMAXな素材が
欧州のハートを射止めたのでしょう。

その写真集につられてバリ島にやってきた
ミゲル・コバルピアスさんがこれまた
写真集「バリ島」を出版。

ああ、
行ってみたいわ〜
あの島へ〜ってなるやん。

アーティストがバリ島に旅行に訪れては
移住するものまで出てきたりね。
(気持ち、むっちゃわかります)

その代表格がヴァルター・シュピースってゆう
アーティストさん。

ついにバリ島は
この人をきっかけにして

「観光地バリ島」

へ巨人化していくんです。

彼は大好きなバリ島のアーティスティックな財産を
形に残そうとしました。

例えば、
インドネシアでもジャワやバリで独特の楽器
「ガムラン」を使った音楽を

録音して音源を商品化して販売したり。
(ヨーロッパでガムラン音楽の認知広がる)

儀礼の一つの型だった「ケチャ」を
ラーマーヤナと結びつけて
ストーリー性を持たせ

現在の「魅せるケチャ・ダンス」に
発展させたり。

悪魔払いの儀礼の一つだったチャロナラン劇を
わかりやすく物語化して
「バロン・ダンス」(魔女ランダと聖獣バロンの闘い)に
再構築したり。

バリ島の絵画スタイルも
このシュピースさん他のアーティストの影響を受けてて
彼らの住んでたウブドで特に顕著な
新しいスタイルになっていったり。

もともと、祭礼や儀式、
村社会の儀礼や慣習として

バリ人にとっての「生活」だった文化が

「魅せる伝統文化」として
生まれ変わっていった時期が

まさにオランダ植民地時代と
ぴったり一致。

楽園としての自然的資源に加え
伝統文化を「観光資源」として再編成される

バリ・ルネッサンス

は斯くしておこったのでした。・

「観光目的」に伝統文化を育てていくと

どうしても

残るもの
衰退していくもの

が出てきてしまう。

こうして残っているものと
観光化に関係なく営まれる土着の生活様式と
多様性と多国籍なバリ島に魅せられた人が集う光景が、

21世紀の私たちが知っている
「バリ島」の姿だと言って

外れてはいないと思います^ ^


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