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進撃する軍神インドラとラタ戦車

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リグ・ヴェーダに収められた1028の賛歌の内、インドラに捧げられたものは実にその4分の1を占めている。彼は駿馬に牽かれた黄金のラタ戦車を駆り、先住民である肌の黒いダーサ(ダスユ)を征服し、その富をアーリア人に分け与える軍神として、また、ヴァジュラ(金剛杵)によって蛇の悪魔を殺し、閉じ込められた川の水を開放する雷神として讃えられている。

馬に引かれた戦車、およびそれらのカルトと関連する儀式は、インド・イラン人によって広められ、馬と馬に引かれた戦車はインド・アーリア人によってインドに導入されました。リグヴェーダでは、インドラは強い意志があり、落雷で武装し、戦車に乗っていると説明されています。
(自動翻訳)

Wikipediaより

【注記】
以下に掲載するヴェーダ詩節の翻訳についてですが、辻直四郎訳、Sacred Text英訳、その他ネット上に見られる最近の英訳等を比べるとかなり異なる事が分かります。
これはそもそもヴェーダの言葉というものが「てにをは」的な助詞を持たず、単に単語を羅列しているだけ、という事情がある様です。
そしてその単語の並びも、おそらく当時の詠み人たちの詩想の高まりによって自由自在に倒置・省略している、のでぶっちゃけ現代人がそれを正確に読み解くのは極めて難しいのだと思われます。
専門家でもない私が様々な情報をもとに試訳してはいますが、基本ここで最も重要なのは、「リグ・ヴェーダ(あるいはインド・アーリア人の生活)の中でいかにラタ戦車(及びその車輪)というものが重要な意味を持っていたか」というただ一点を明らかにする事です。


Rig Veda 1.56.1.
eṣaḥ ǀ pra ǀ pūrvīḥ ǀ ava ǀ tasya ǀ camriṣaḥ ǀ atyaḥ ǀ na ǀ yoṣām ǀ ut ǀ ayaṃsta ǀ bhurvaṇiḥ ǀdakṣam ǀ mahe ǀ pāyayate ǀ hiraṇyayam ǀ ratham ǀ ā-vṛtya ǀ hari-yogam ǀ ṛbhvasam ǁ

FOR this man's full libations held in ladles, he hath roused him, eager, as a horse to meet the mare. He stays his golden car, yoked with Bay Horses, swift, and drinks the Soma juice which strengthens for great deeds.

捕らわれたこの男の完全な解放のために、彼は牝馬に会いたがる牡馬の様に熱心に自分を奮い立たせた。 彼は栗毛の駿馬が繋がれた黄金のラタ戦車に素早く乗り、偉大なる偉業を成す為の力を得んとしてソーマを痛飲す。(筆者試訳)

Sacred Textより

Rig Veda 1.63.3. Indra
tvaṃ satya indra dhṛṣṇuretān tvaṃ ṛbhukṣā naryastvaṃṣāṭ |
tvaṃ śuṣṇaṃ vṛjane pṛkṣa āṇau yūne kutsāyadyumate sacāhan ||

Faithful art thou, these thou defiest, Indra; thou art the Ṛbhus' Lord, heroic, victor. Thou, by his side, for young and glorious Kutsa, with steed and car in battle slewest Śuṣṇa,

信義に厚いあなたは、反旗を翻し、インドラよ、あなたはリブ神の主であり、英雄的な勝利者です。 あなたは彼に寄り添い、若く輝かしいクッツァのために、駿馬とラタ戦車で戦い悪魔シュシュナを殺す。(筆者試訳)

Sacred Textより

Rig Veda 1.84.3. Indra
ā tiṣṭha vṛtrahan rathaṃ yuktā te brahmaṇā harī | arvācīnaṃ su te mano grāvā kṛṇotu vagnunā ||

“Slayer of Vṛtra, ascend your chariot, for your horses have been yoked by prayer; may the stone (that bruises the Soma) attract, by its sound, your mind towards us.”

ヴリトラを殺す者よ、あなたのラタ戦車に乗れ、あなたの駿馬は祈祷によって(戦車に)繋がれた。 (ソーマを圧搾する)重石がその音と共にあなたの注意を引きつけるように。(筆者試訳)

Wisdom Libraryより

ダーサ(黒色)の原住民を屈服せしめ、消滅せしめたる彼、勝ち誇る賭博者のごとく、勝利を博して、賭物たる部外者の豊かな財産を収得したる彼、彼は、人々よ、インドラなり。(辻直四郎訳)

岩波書店:リグ・ヴェーダ賛歌

Rig Veda 1.100.10 Indra
sa grāmebhiḥ sanitā sa rathebhir vide viśvābhiḥ kṛṣṭibhir nv adya | sa pauṃsyebhir abhibhūr aśastīr marutvān no bhavatv indra ūtī ||

With hosts on foot and cars he winneth treasures: well is he known this day by all the people. With manly might he conquereth those who hate him. May Indra, girt by Maruts, be our succour.

歩兵とラタ戦車の軍勢を率いて、彼は財宝を勝ち取った。彼は今日、すべての人々に知られている。 彼は男らしい力で彼を憎む人々を征服するだろう。取り囲むマルト神群と共にインドラよ、私たちを助けたまえ。(筆者試訳)

Sacred Textより

リグ・ヴェーダが成立したBC1500〜1300年前後、それはちょうどインド・アーリア人がインダス川の流域に侵入した時期と重なっている。おそらくラタ戦車に乗る軍神としてのインドラは、侵略するアーリア人の自己賞賛を投影したものなのだろう。

また、蛇殺しと閉ざされた水の開放は、大規模な農耕を知らなかった遊牧民のアーリア人が、インダスの優れた水利技術を引き継いで灌漑農業を行っていた先住民の集落を破壊し、水源である豊かな森を切り開いて定住していったプロセスとの関連だろうか。

この他、通読していて分かったのは、リグ・ヴェーダに登場する実に多くの神たちが、スーリヤやインドラと同様、ラタ戦車に乗る姿で描かれ、称賛されている、という事実だ。

戦車はインド・イラン神話で目立つように描かれています。戦車はヒンドゥー教とペルシャ神話の両方の重要な部分でもあり、彼らのパンテオンのほとんどの神々は彼らに乗っているように描かれています。
(自動翻訳)

Wikipediaより

以下に、実際のリグ・ヴェーダの詩節を引用していく。

1.35.2. サヴィトリの歌
ā kṛṣṇena rajasā vartamāno niveśayann amṛtam martyaṃ ca | hiraṇyayena savitā rathenā devo yāti bhuvanāni paśyan ||
暗き空間を通過し、神界をも人間をも憩いに導きつつ、黄金のラタ戦車によって、サヴィトリ神は来る、万物を見守りつつ。

1.48.3 ウシャス(暁紅の女神)の歌
uvāsoṣā ucchāc ca nu devī jīrā rathānām | ye asyā ācaraṇeṣu dadhrire samudre na śravasyavaḥ ||
ウシャスは常に輝きぬ、今またさらに輝かん、ラタ戦車を躍動せしむる女神は。それら(のラタ戦車)は、彼女の到来を待ちもうけたり、名声を求むる者が、海の船出を待つごとく。

1.118. アシュヴィン双神
ā vāṃ ratho aśvinā śyenapatvā sumṛḻīkaḥ svavām̐ yātv arvāṅ | yo martyasya manaso javīyān trivandhuro vṛṣaṇā vātaraṃhāḥ ||
1. 汝らのラタ戦車はこなたに向かって来たれ。アシュヴィン双神よ、鷲に牽かれて飛び、恵み豊かに、支援に富む(ラタ戦車は)。そは人間の思想よりも速く、三座を有して風の如く疾走す。牡牛なす双神よ。

trivandhureṇa trivṛtā rathena tricakreṇa suvṛtā yātam arvāk | pinvataṃ gā jinvatam arvato no vardhayatam aśvinā vīram asme ||
2. 三座を有して三部に分かれ、三輪を有して軽快に走るラタ戦車により、こなたに向かって来たれ。我らの牝牛をして乳もてみなぎらしめよ。我らの馬に生気あらしめよ。我らの勇士をして栄えしめよ、アシュヴィン双神よ。

1.134.3 ヴァーユ(風神)の歌
vāyur yuṅkte rohitā vāyur aruṇā vāyū rathe ajirā dhuri voḻhave vahiṣṭhā dhuri voḻhave | pra bodhayā puraṃdhiṃ jāra ā sasatīm iva | pra cakṣaya rodasī vāsayoṣasaḥ śravase vāsayoṣasaḥ ||
ヴァーユは二頭の赤き馬を繋ぐ、ヴァーユは二頭の赤らめる馬を。ヴァーユは二頭の俊足をラタ戦車に繋ぐ、轅に繋ぎて御せんがために。豊穣を目覚ませ、暁光を輝かしめよ。名声のために暁紅を目覚ませ。

3.3.9. アグニ(火神)の歌
vibhāvā devaḥ suraṇaḥ pari kṣitīr agnir babhūva śavasā sumadrathaḥ | tasya vratāni bhūripoṣiṇo vayam upa bhūṣema dama ā suvṛktibhiḥ ||
遠く輝き、喜ばしき神アグニは、ラタ戦車に乗り、力によりて人間の住居を包容せり。我ら願わくは、豊かなる栄養を授くるこの神の掟を、心して守らんことを、我らが家において、いみじくも作られし賛歌もて。

5.57.1 マルト神群(暴風雨神)の歌
ā rudrāsa indravantaḥ sajoṣaso hiraṇyarathāḥ suvitāya gantana | iyaṃ vo asmat prati haryate matis tṛṣṇaje na diva utsā udanyave ||
ルドラ神群(マルト神群)よ、インドラと共に、心を一にして、黄金のラタ戦車に乗り、我らが幸福のために来たれ。我らより発するこの詩想は、汝らにより快く迎えらる、天界の泉が渇きて水を求むる者における如く。

5.83.7. パルジャニア(雨神)の歌
abhi kranda stanaya garbham ā dhā udanvatā pari dīyā rathena | dṛtiṃ su karṣa viṣitaṃ nyañcaṃ samā bhavantūdvato nipādāḥ ||
吠えよ、神鳴れ、胚種を置け、水に満てるラタ戦車もて飛び回れ。紐を解きたる革袋を下方に向けて強く引け。高き所も低き所も水もて一様ならしめよ。
(筆者が辻訳の「車両」「車」→「ラタ戦車」に変更)

辻直四郎訳:リグ・ヴェーダ賛歌より

Rig Veda 1.22.2. Aśvins and Others
yā surathā rathītamobhā devā divispṛśā |
aśvinā tā havāmahe ||

We call the Aśvins Twain, the Gods borne in a noble car, the best
Of charioteers, who reach the heavens.

私たちはアシュヴィン双神をこう呼ぶだろう、高貴なラタ戦車に生まれた神々、天に到達する最高の御者であると。(筆者試訳)

Sacred Textより

この古代戦車に関する様々な文脈を考慮すると、おそらくアーリア人のインド亜大陸侵略の原動力になったのが、この駿馬に引かれて軽快に疾走するラタ戦車だったのだろう。

インダス文明の末裔であり農耕民だったインド先住民は、ある意味、遊牧のアーリア人より遥かに高い文化レベルを誇っていた部分もある。けれどこと武力においては彼我の関係が逆転する。アーリア人はラタ戦車を用いた戦争の達人だったのだ。

インドの二大叙事詩・マハバーラタの戦いを見ると、
「御者クリシュナがラタ戦車の馬を御し、アルジュナが車台から弓で敵を射る」
という基本戦法が見て取れる。この戦いはリグ・ヴェーダの十王戦争に比定されており、この戦法の起源はおそらくアーリア人のインド侵入以前に遡れるはずだ。

クリシュナが御すラタ戦車上から弓を射るアルジュナ wallpaperaccessより

一方のインド先住民を見ると、インダス文明の時代以来、彼らは鈍重な牛車は持っていたが家畜化された馬は持たず、当然馬に引かれ高速で疾駆する戦車の存在など知らなかった。

そんな彼らが、高い機動力を持って疾走するラタ戦車とそこから速射される弓矢、という見たこともない斬新な攻撃にいきなりさらされたらどうなるだろう。おそらくほとんど抵抗のすべもなくアーリア人に征服されてしまったのではないだろうか。

そうやって、やがて彼らは被支配者として・カースト・ヴァルナのシステムその最底辺に、隷属階級シュードラとして位置づけられていったのだ。

このプロセスは、近世以降の西欧人による世界征服のプロセスと重ね合わせると理解し易いかも知れない。

1492年、コロンブスの新大陸『発見』によって象徴的に切り開かれた大航海時代。その後南米を侵略したスペイン人は、わずかな人数でインカ帝国を滅ぼして、その莫大な財宝を略奪する。一説によれば、馬を見た事がなかったインカの人々は、騎乗した肌の白いスペイン人を神だと思い込みなすすべもなく降伏したのだという。

そして北米においては、ピルグリム・ファーザーズとその後継者たちが、圧倒的な武力の優位を背に先住民『インディアン』を討伐し、その土地を奪い、南へ西へとその領土を拡大していった。

彼ら白人は、自分達以外の先住民、あるいは『発見された人々』を『カラード(有色人種)』と言って蔑み、アフリカの黒人達は最も色が黒い最下等の者として奴隷化され、アメリカ大陸に売られていった。

奴隷船に積み込まれる黒人と監督する白人:by Joseph Swain from Wikimedia

それらの侵略と破壊と収奪が、キリスト教の神の名において行われた、という事実も忘れてはならない。それはインド亜大陸を侵略したアーリア人が、ヴェーダの神インドラの名においてその殺戮と破壊と略奪を賞賛した姿と、恐ろしいほどに似通っていると言える。

中南米諸国では、現在でも先住民系の多くが貧困と差別に苦しんでいる。また北米における黒人を差別した公民権法や南アフリカのアパルトヘイト、オーストラリアの白豪主義など、物質文明と武力において優れた白人が、相対的に劣った有色人種を侵略によって蹂躙支配し差別的な社会システムを作ってきたのは周知の事実だ。

つまり、侵略者アーリア人によるヴァルナに基づいた先住民支配システムとは、いわば近代に先駆けて3000有余年前に確立した『アパルトヘイト』なのだ。

西欧人の圧倒的な優位は大砲や銃に代表される火器だったが、アーリア人の場合はラタ戦車であった。リグ・ヴェーダの神々の多くが、疾駆するラタ戦車に乗った姿で描かれている事はその証左だろう。彼らにとってはこのラタ戦車こそが、先住民を征服し、富を奪い、自分達を豊かにする原動力であり、神的な威力の象徴だったのだ。

その後の調べで、それは高性能のスポーク式車輪を備えた、当時としては最先端の機動戦車だった事が分かっている。

これまで見てきたインド的車輪シンボルを見てみると、ブッダの法輪もヴィシュヌ・クリシュナのスダルシャン・チャクラも、コナーラク太陽寺院の車輪もマハバーラタで活躍するラタ戦車の車輪も、全て美しいスポーク式になっている事が確認できる。

スポークの意匠が美しいコナーラクのスリヤ・チャクラ(車輪)

正にこのスポーク式車輪を履いたラタ戦車を駆って、アーリア人は東へ東へと進軍して来たのだった。戦車だけではなく、移動運搬用の荷車にもこの高性能の車輪は使われ、その東征を支えたに違いない。

彼らは一体どこから来たのか。このアーリア人とスポーク式車輪の起源を求めて、私はさらに時の流れを遡っていった。

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