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インド式エクササイズは、比類なきエスノ・サイエンスなのだ

「現代人に不足しているのは『スクワット』と『棒術』だ。」
つね日頃から私はそう感じています。それは一体、何故でしょうか?
本マガジンでは、その裏付けとなる「インド式エクササイズ」について、特に棒術の回転技「バーラティア」に焦点を合わせて、順を追って分かり易く説明して行きます。

その前に、ですが、今回はまず私が拠って立つ基本的なスタンスを知っていただくために、最初にひとつのエピソードを紹介したいと思います。これは以前聞き知ってとても印象深く心に残っているもので、実際の史実とは若干異なるかも知れませんが、ひとつの象徴的な『寓話』として、とても啓示的です。

マラリアという熱帯性の伝染病をご存じかと思います。これは熱帯・亜熱帯を中心に世界中に広がる蚊を媒介とする感染症で、蚊に刺された際にマラリア原虫がヒトの体内に入る事によって発症します。
この病気は古代エジプトやローマ時代にも繰り返し流行して、文明の興亡さえも左右したと言われており、近世以降、ヨーロッパの大航海時代から植民地帝国主義の時代、そして二度の大戦を経て現在に至るまで、世界中で猛威をふるって人類を悩ませ続けてきました。
そんな厄介者のマラリアにも、実はキニーネという特効薬が存在します。それが薬効成分として精製単離されたのは1820年と比較的新しいのですが、その原料である植物『キナノキ』の存在は、遅くとも1600年代初頭には西欧世界に知られていたと言われています。
その発見のきっかけは、南米先住民の伝統的な呪術医療にありました。ペルーやエクアドルなどの主要民族であるインカ系のケチュア族が、ある周期的な発熱と瘧をともなう特異な熱病に対して、このキナの樹皮を煎じた薬液を飲ませる治療法を確立していて、それが西欧からやってきた宣教師などの目に留まり、ヨーロッパに伝えられたという事です。
彼ら先住民たちの民族医療は、ヒーラー(西Curandero)と呼ばれる伝統的な療術祈祷師によって施術され、その背後には様々な神話的な物語が横たわっていますが、基本的に身体の中に侵入した『悪魔』的な何かを『善き神霊』的な威力によって追い出すという文脈で執り行われる事が多く、その際に呪文、舞踏、歌や音楽リズムなど様々な儀式を伴います。
このような先住民族による伝統的な祈祷療術は、一見すると迷信に基づいた未開で野蛮な風習と見なされがちでしたが、近年では『エスノ・サイエンス(民族科学)』と呼ばれ、現代医学的に見ても非常に優れた知見の宝庫として再評価されています。
そして、未だに治療法が確立していない様々な病気に対する特効薬を発見するために、世界中の製薬会社が『プラント・ハンター』を各地の伝統社会に派遣し、彼らが古来より伝承する知識と実践から優れた学びを得ている、という事です。
キナノキについてはその先駆けとも言えるもので、16世紀以降に南米に入った西欧人たちが先住民ケチュア族の呪術医療を目撃し、キナ樹皮の煎じ薬を飲むことによって熱病や瘧から快癒する事例が多数確認され、その優れた治療法が西欧世界にもたらされた、という流れでした。
やがてキナ樹皮はマラリアの治療薬として西欧社会で広く用いられるようになり、後にそこから抽出されたキニーネが、その特効薬として世界中で多くの人々を救う事になりました。

両手にムドガルを持つ筆者:2005年、ラジャスタン州のクシュティ道場にて

私は2005年より「サンガム印度武術研究所」の看板を掲げ、インドにおいて古くから実践されてきた武術やヨーガ、瞑想行などを研究してきました。その流れの中、いつしか
「インド特有の伝統的な『心身システム科学』が保存継承してきた英知を、社会の中で広くシェアできれば」
と考えるようになりました。
そこではケチュア族の民族療術と同様、多くの神話的な文脈が駆使されています。何しろインドは神々の国であり、その神話的な論理構成はケチュア族の比ではないレベルで複雑精緻に構築されているのです。
しかしそこで重要なのは、キナ療法の場合と同様「何がどう主観的に理解されて、それが具体的にどのように実践され体現されていたか?」という文脈であり、その営為が潜在的に持っていたであろう客観的かつ科学的な合理性・合目的性です。
確かにケチュアの人々は病気の原因を『悪魔』と呼びその治癒の力を『神霊』に求めた。けれどこの悪魔を『マラリア原虫』と言い換え、神霊を『薬効』と言い換えれば、彼らは現代医学と全く同じ様に因果律を考え、同じようにキナが持つ薬理作用機序を行使していた訳です。
悪魔とか神霊とか、原虫とか薬効とか言っても、しょせんそれは便宜的なラベルに過ぎません。コロナ禍を経験した直後の私たちは、伝染病が持つこの悪魔的なイメージに、大いに共感できると思います。彼らはその率直な感性によって病原体を『悪魔』と呼んだだけであって、そこには全人類に福音をもたらすような科学的な英知が、間違いなく存在していました。
そして後に、そんなエスノ・サイエンスの英知は現代医学の言葉に見事に翻訳され、マラリア原虫薬効成分キニーネという関係性の中に落とし込まれたのです。
インドにおける伝統的な心身システム科学についても、全く同じことが言える、というのが私の基本的なスタンスです。例えば伝統的なヨーガの理論では、女神のシャクティであるクンダリニースシュムナー管チャクラなど、インド特有の難解で神話的な物語が強力に主張されます。それは武術というフィールドにおいても概ね変わりません。けれどそれはあくまでもエスノ・サイエンスであり『文化的な翻訳・脚色』です。
それらはインド固有の神話的思考が紡ぎ出したひとつの『文化的コンテクスト』であり、ヒンドゥ教徒ではない私たち現代日本人が、それをそのまま丸呑みにする必要は必ずしもありません(もちろん躍起になって否定する必要もありません)。
ケチュア族が信じる悪魔や神霊を受容しなくても、私たちはキニーネによってマラリアから快癒できる。それと全く同じ事が、インド的な英知についても言えるのです。
ケチュア人が熱病患者にキナ樹皮の煎じ薬を飲ませていた時、その付随する呪術的コンテクストに惑わされて『未開』『野蛮』『迷信』のレッテルを張り否定していたら、マラリアの特効薬キニーネはついぞ生まれなかったでしょう。けれど逆に、彼らが奉ずるストーリーを妄信して思考停止してしまっていても、キニーネは生まれなかった。私たちはこの教訓を忘れるべきではありません。
重要なのは、彼らが伝統的に育んできた豊かな文化的コンテクストが、何故そのような形で紡ぎ出されたのか、それによって彼らが何を言わんとしていたのかを、深く見つめる事です。
その背後に横たわる実体験を綿密にシミュレートしてそこから本質的な英知を抽出し、それを私たちに理解可能な科学的な文脈へと再変換して合理的な作用機序へと落とし込むのです。
もちろんそのような伝統的コンテクストの全てが、現代科学から見て正しく有用なものとは限りません。しかしたとえ現時点ではナンセンスな迷信にしか見えない事柄であっても、実は50年後100年後には、その真意が科学的に明らかにされる可能性も、またあり得ます。
現代科学自体、特殊西洋近代的な文脈に大いにバイアスされたものであって、そこには自ずから限界があります。多くの場合、そこで提示される『真理』『現時点において』という但し書きの元にあり『絶対』ではありません。
西洋近代科学の歴史は高々数百年。一方、世界中の伝統文化が大成し継承してきたエスノ・サイエンスは、数千年あるいは数万年にも及ぶ試行錯誤を乗り越えて獲得された経験知のエッセンスであり、智慧の宝庫です。
私たちに求められているのは、まずはそれを敬い、謙虚にそこから学ぶ、という姿勢ではないでしょうか。
なかんずくヨーガと瞑想の母国インドは、その悠久の歴史を通じて常に心と身体を相関するホリスティックなシステムと捉え、ヨーガ・瞑想行においてはニルバーナ解脱あるいは覚り、武術においては極限の集中力帰神的な強さなど、目指すべき究極のゴールに至るための具体的な方法論を連綿と模索し確立して来ました。いわばエスノ・サイエンスにおける心身システム理論&実践のエキスパート、と言っても過言ではないでしょう。
21世紀の今日、世界のヨーガ人口は3億人とも言われており、また古代仏教のヴィパッサナーに由来するマインドフル・メディテーションなど、お家芸である瞑想実践についても世界中で普及が進んでいます。これはインド的な心身科学が持つ叡智が、民族や文化を超えた普遍的な意味と価値を有する事の、確かな証です。
そんなヨーガや瞑想と密に連携しながら発展してきたのがインド武術とそのエクササイズであり、そこで実践され展開される方法論と作用機序から、現代人が学ぶべきことは実に多い、そう私は考えています。

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