松園さん、眉毛は大事ですよね。
過日、山種美術館で開催されていた「【開館55周年記念特別展】上村松園・松篁 ―美人画と花鳥画の世界―」へ行ってきた。
近代日本における美人画といえば“西の松園、東の清方”。
先日、鏑木清方展でその空気感に触れたことで、松園の作品とはどう違うんだろう、と興味を持ったのだ。
会場には同館がコレクションしている上村松園(しょうえん)の作品全18点と、長男・松篁(しょうこう)の作品を中心に、近現代の美人画、花鳥画がずらり。とても華やかな展示だった。
清方と松園との大きな違いは、清方が美人画家と呼ばれることを疎んじたのに対して、松園は目的をもって美人画を描いていたこと。
絵にはいくつか松園のことばが添えられていたので、多くの引用元になった上村松園のエッセイ(というのかどうだか)『青眉抄』を読んでみたら、こんな一文があった。
なるほど、松園という人は自身が日本に、それも女性として生まれたことを誇りに思い、伝統的な日本女性の美を描き続けていたのだな、と思う。
まるで観音菩薩のような穏やかな表情の女性を多く描いているけれど、ご本人は勝気な性格だったのかも、と想像もする。
わたしが最も共感を覚えるのは、「美人画を描く上でいちばんむつかしいのは眉」という言葉。
あるあるあるある…!!と「クイズ100人に聞きました」(ネタが古い)よろしく、声に出して頷いてしまう。
本当にもう、何年も書き続けているにも関わらず眉毛というものは定まらないし、何度だって失敗する。
朝いちばんに眉をしくじった日のモチベーションの低さたるや!
今回、この『娘』という作品のみ撮影をすることができた。
輪郭や、針に糸を通そうとする手元のふっくらとした柔らかそうな様子が可愛らしい。
改めて見ると、眉毛が美しいこと。
松篁の花鳥画は撮影不可だったが、どれもとても優しかった。
四季を彩る花々や庭で遊ぶ鳥たちなど、目に写る自然を優しい眼差しで見つめていた様子が浮かぶ。
こちらは松園の作品を見立てたお菓子「誰が袖」。
淡いブルーの練りきりに包まれているのは、ごま入りのこしあん。白梅は淡雪羹で表現されている。
併設のカフェでお抹茶といっしょにいただいた。
カフェ併設の美術館は、これが楽しい。
日本における美人画の歴史は古く、正倉院の「鳥毛立女屏風」がよく知られている。
近年、ルッキズム(外見至上主義)が取り沙汰され、わたし自身も外見にコンプレックスが強いのでニュースを見ながら「そうだそうだ!」と声を上げているのだけれど、
自分が描くなら、自宅に飾るなら、やっぱり自分が“うつくしい”と思うものがいい。
つまりはそういうことなんだろうな、と思う。
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