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今日からマスクが任意になった

私が住んでいる州では、今日からマスクが任意になった。うちの子供たちが通う学校のポリシーも州の方針に準ずるものとなった。今、住んでいる地域はどちらかと言うと保守層が多い。

息子曰く、やっぱりねって子達はマスクを着けていなかった、とのこと。政治云々の話しがしたい訳ではないし、息子の言うやっぱりね、がどの子達なのかも判りかねるけれど、コロナ禍でマスクを着ける、着けない問題は私に人権ということの意味を実感として教えてくれた。

私はコロナ以前はポリシーとして花粉症であってもほとんどマスクを着けた事がなかった。咳が出ている時にエチケットとして着ける程度。(*電車、バスは乗らない生活で、です)


まだアメリカに来たばかりの頃、咳がでていたのでマスクをして子供達を学校までピックアップしに行った時、同じくピックアップ待ちの子供たちが私のマスク姿を指差して笑ったのだった。当時、そのくらいマスクを着けることは非日常で、着けるのは医療従事者だけだった。そんな話はすでに耳にした事はあったけれど、それは本当の本当だった。マスクが当たり前の国から来た私には、笑われたことよりもこの国の常識を肌で感じ、その衝撃の方が大きかった。

そしてコロナ禍のマスク着ける、着けない論争の勃発。色々な意見の一つに’着けない権利’があるという、これは私にとって目から鱗だった。良い悪いや責任については人それぞれの立場や価値観で違ってくるので私がここで何か言うつもりは無いのだけれども、この出来事は私に人権という概念の輪郭をもたらした。

なるほどね〜、と。
自由を自ら掴み取りにいく国、アメリカ。

今日、近所へ買い物に行ってもマスク無しの方がちらほらいた。ワクチン接種が進んでいるとはいえ、まだまだ油断は禁物と思うのだけれど。でも自分も含めてかなり全体として解放感があるのは否めない。そして、マスク着、無着がコンサバかリベラルかが可視化されているようで何だか複雑な気持になった。




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