見出し画像

ピーター・ジャクソン「彼らは生きていた」

第一次世界大戦時に撮影されたイギリス海外派遣軍の記録映像を修復・着色し、さらに音声や効果音も追加したことにより、当時の様子がより鮮明に、身近に感じられるドキュメンタリー映画である。
イギリス海外派遣軍はイギリス陸軍が編成した組織であり、カナダやオーストラリアの部隊も組み込まれ、西部戦線でドイツ軍と死闘を繰り広げた。
西部戦線の塹壕戦は悲惨そのものであり、それにも関わらず兵士はほがらかで、どことなく間が抜けていて微笑ましい。
西部戦線を生き延び、老人となった元軍人たちが、当時を振り返る。

フランドルの野に、ポピーが咲いている

前線勤務は四日交代である。
勤務が終わると、数キロ後方の舎営まで行進して帰る。
空は鮮やかな夕焼けだ。赤、オレンジ、ピンク、群青色……。
小さな村の工場などが舎営として拵えてある。
休養は一週間である。
タライの水で足を洗ったり、ブーツを磨いたり……。
兵士が滞在している小さな村の壁は崩れかかってぼろぼろで、砲兵が近くで大砲を撃つと、振動で屋根の瓦がバラバラと落ちる。

そして、砲兵の足元、崩れかかった家の近く、道の両脇など、あちこちに赤いポピーが咲いている……。

カナダの軍人ジョン・マクレイの詩「フランドルの野で」でおなじみのように、フランドルの野の赤いポピーは、戦死した兵士の象徴だ。
ポピーの種は地中深くにある時は休眠状態だが、塹壕を掘ったり、大勢の兵士の軍靴で地面が踏まれ、土が掘り起こされることにより、種が地表に出てきて花が咲くため、激戦地であればある程ポピーは咲き乱れたという。

そして、モノクロの記録映像が着色されたことにより、戦地に、村に、道に、赤いポピーが咲いた。
この映画で印象に残ったことのひとつが、このポピーである。

フランス軍の塹壕に咲くポピー

死者の沼地

休養が終わると、再び前線勤務である。
一日は夜明け前に始まる。
下司官が全員の無事を確かめ、塹壕へ向かって行進だ。
前線が近づくにつれ、砲撃音や射撃音が大きくなる。
塹壕では、監視・穴掘り・睡眠の3班に分かれる。
勤務2時間、休息4時間である。
眠る時は塹壕の中に隙間を見つけて眠る。
塹壕の中は生活感で溢れている。
誰かのブーツ、煙草の吸殻、マグカップ、スプーン、飯盒、コートなどがあちこちに転がっている。

遠くの鉄条網には置き去りにされたままの死体が引っかかっている。
砲弾孔には水が溜まり、黒ずんだ死体が浸かっている。
それらに蝿やネズミの大群が群がる。
死臭は塹壕に這いより、全てのものに染み込む。
イギリス人といえば紅茶だが、どうやら死体が浮いている水たまりの水で紅茶を作ったために赤痢が発生したらしい。

大量の雨が降ると、排水設備が破壊された塹壕は水浸しになる。
広大な戦場はぬかるみと化し、後方地帯に食糧を取りにいくのにも少しづつしか進めない。
ただでさえ軍靴は重いのに、兵士はさらなるストレス、疲労に襲われる。
地面に渡された踏板は泥でずるずる滑る。
ぬかるんだ地面は底なし沼と化している。
沼のあちこちに腐乱死体が沈んでいる。
すると、若い兵士が滑ってぬかるみに落ちた。
必死でもがくが、どんどん泥に沈んでいく。
助けようにも、気を付けないとこちらも落ちてしまうため、思うように助けられない。
目の前で仲間が沈んでいく。

若い兵士を飲み込んだフランドルの野は、後に美しいポピーに覆われる……。

バグパイプとキルト

戦線は長らく膠着状態が続いていたが、ついにイギリス軍の大攻勢が始まった。
砲弾が一斉に撃たれる。敵の鉄条網を破壊するためだ。
もちろんドイツ軍も撃ってくる。
砲弾は神の断末魔のような音を立てながら飛んでくる。
かなり遠くに落ちても、熱い破片が飛んでくる。
濛々たる土埃。
榴散弾が空中で爆発し、破片や散弾をばらまく。
イギリス軍の320両の戦車が、砲弾孔に溜まった水を跳ね上げながら前進する。
塹壕で待機している歩兵に命令が下された。

“着剣!位置につけ!準備はいいか?突撃だ!“

彼らには前に進むことしか許されていないのだ。

その時、音が聞こえた。
バグパイプの音だ。
キルトを着用したスコットランド兵のひとりが、バグパイプを吹きながら仲間を先導している。
粉塵、抉られた地面、水たまり、死体、鉄条網、なぎ倒された黒焦げの木々……その中をバグパイプを演奏するスコットランド兵は焦ることなく進んでいく。
他のスコットランド兵も走ったり叫んだりせず、ゆっくりと進んでいた。

この映画で印象に残ったふたつめは、このスコットランド兵である。
毒ガス弾や戦車や戦闘機や火炎放射器のような近代的な兵器が次々と出てくる中、スコットランド兵の伝統的なキルト姿はなんだかちぐはぐで可愛らしく、まるで妖精のように見えた。
その彼らの中のバグパイパーが「勇敢なるスコットランド」を演奏しながらみんなを先導していく様子が、そこだけ古風でなんだか不思議だった。

他の歩兵も銃剣を構え、土煙に紛れてゆっくりと一歩一歩慎重に進んだ。
ドイツ軍からの迎撃はほぼ無い。
前進を続ける。
すると突然、ドイツ軍の20丁の機関銃が一斉に掃射される。
敵は退却せず、塹壕に隠れてじっと待っていたのだ。
前にいた仲間たちがなぎ倒される。

“止まるな!前に進め!止まったら負けだ!“

第一陣は全滅だ。
死体の山。
しかしバグパイプの音色は止まない。
最初の奏者が死んだ後も、誰かが引き継いで吹いているのだ。
ドイツ軍にとっては、バグパイパーは不死身のような恐ろしい存在だろう。
それとも、彼らにとってもあの音色は郷愁や感傷を誘うのだろうか。

その時、砲弾が降って来た。
仲間の砲弾だ。
気を付けないとドイツ軍だけではなく、こっちもやられる。
榴散弾も空中で爆発し、破片が降り注ぐ。
仲間も敵もバタバタ倒れていく。
前からはドイツ軍の機関銃や手榴弾が飛んできて、後ろからは味方からの砲撃……周囲の全てから攻撃されている。

地面にはちぎれた手や足が散乱している。
母親を呼ぶ泣き声が聞こえる。
それもすさまじい砲弾の轟音ですぐかき消される。
たまにバグパイプの音色の片鱗が聞こえる。
素早く砲弾孔に入り込み、弾幕が晴れるのを待つ。
砲弾孔に隠れられない者はほぼ死んだ。
“敵の死体でバリケードを作れ!”と言う声が聞こえる。

“連射せよ!”と命令が下る。
イギリス兵は孔から顔を出し、一斉に撃つ。
ドイツ軍がばたばた倒れる。

“敵陣地へ!突撃せよ!白兵戦だ!”
“動くものは全て突き刺せ!突撃!突撃!突撃……”

イギリス兵は銃剣を構えてドイツ兵に突進する。
目の前に現れた敵に剣を突き刺す。
ドイツ兵も向かってくる。
彼らは手に塹壕を掘る時に使うスコップやツルハシを持っている。
それらを振り上げ……イギリス兵の首筋に振り下ろす!
叫び声が上がる。
血が飛び散る。
ドイツ兵の機関銃がイギリス兵をなぎ倒す。
タンクを背負ったドイツ兵が現れ、手に持ったホースの先から炎が噴き出す。火炎放射器だ!
悲鳴。体が焼ける臭い。煙。頭上で炸裂する榴散弾。
まさに地獄の虐殺だ。
しかし白兵戦は10分ほどで終わった。
ドイツ軍の多くが降伏した。

終戦

それから数か月が過ぎた。
戦況は一進一退で、なかなか決着がつかない。
1918年の春、ドイツ軍は大攻勢を仕掛けることにした。
しかしドイツ兵は配給される食糧も乏しく、士気が落ちていた。

イギリス軍に投降したドイツ兵捕虜たちは従順で、負傷したイギリス兵を運ぶ手伝いにも素直に従った。
捕虜の中には英語を話せる者もいて、意思の疎通が出来た。

そして1918年11月3日に、ドイツで不満を持った水平が反乱を起こし、それが引き金となってドイツ各地で革命の火の手が燃え上がり、ヴィルヘルム2世は退位に追い込まれ、11月9日には共和国が誕生した。
戦争は終わった。

しかし、故郷へ帰ったイギリス兵を待っていたのは失望だった。

市民たちは兵士を称えるどころか、蔑んだ。
市民たちの多くは、兵士の戦争経験に全く無関心か、または上から目線の同情を示すだけだ。
なぜなのか?
最初はあんなに勇敢な英雄扱いをしていたのに……。
戦争が長引いたことへの抗議だろうか?
はっきりとした理由はわからない。

たくさんの兵士は失業者になった。
彼らは居場所を失った。
苦しみや不満を分かり合えるのは、戦場を共に経験した仲間だけだった。

これはドイツも同じだった。
彼らは祖国のために命を懸けて戦ったが、その祖国は変わり果て、彼らを拒絶した。
戦場という壮絶な経験を理解してくれる人物が、再び国の誇りを取り戻してくれないだろうか?
彼らは“指導者”を求めた。

そして、次の戦争への準備が始まった。























この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?