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私の原点はなに?

どの記事を見ようかなとカタログを見るような感じで、「おすすめ」を見るのが最近の日課。noteのおススメにあったNHKのnoteを今回取り上げます。

このnoteをみて、ずっと、大学卒業してからも記者を目指していたことを思い出しました。このnoteに繰り返し出てくる"原点"

私の考えが変わるような大きな出来事がこれまでの人生の中で3回ありました。そのうち2回は私だけのことではないのでここに書くことはできませんが、それから記者を目指しました。

そしてその出来事と向かい合う中で、たまたま新聞である記事を読んで編集部にメールを送りました。その時に記者さんから返信が来たことを覚えていますが、そのときのメールアドレスは使えなくなってしまい、いまとなってはどなたが返信してくれたのかわかりません。

ですが、そのときいただいた言葉や真摯に向き合って、丁寧に取材されていることから、強いあこがれを持ちました。私も記者になりたい。取材をして伝えていきたい。

残念ながらその夢をかなえることはできませんでしたが、今となっては、そしてこのnoteを読んでも私に足りなかったことがわかるので仕方なかったかなと思います。そこはいいのですが、それからがらっと考え方がかわった出来事がありました。

2011年の震災で津波に流されかけたということ。

災害で体験したことは何よりも強く今も残っています。いまもある条件が揃うと心臓がキュッとしめつけられたような状態になることがあります。軽いトラウマみたいなものでしょうか。

私が当時住んでいたのは茨城県。震災で茨城でも被害を受けた地域が結構あります。ですが、東北の被害がとても大きかったので陸の孤島みたいな状態になっていた時期がありました。

海が近く、ちょうど堤防の修理のため全部取り壊していたために津波が来ていました。私が働いている場所は高台にありました。混乱状態にあったし、誰も冷静ではなかった。私も冷静ではなかった。情報もなかった。あったのは、隣の市で水道管が破裂して水浸しで通れないといった話。

不思議なもので、自分が都合のよいように解釈をします。やっと帰れるとなったとき、道路はものすごい渋滞をしていました。普段なら車で2分くらいの坂道で2時間ちかく動かないまま。消防の人がボートみたいなものをもっていってたりして、それを見て質問している人もいたのに私は車から降りて聞くことをしませんでした。水道管が破裂して大変なんだな。と解釈していたのです。

実際は津波で道路が浸水していたのです。そしてさらに私は最悪の選択をしました。

津波がきているのに、早く帰るために海岸沿いから帰ろうとし津波に向かって車を走らせたのです。川のようになり始めている道路で。

誰にも車が流されるという当時の状況は理解してもらえませんでしたし、イメージもできないようでした。私の怖い体験というのを誰にも理解してもらえない、私の怖かったという思いを吐ける場所はありませんでした。

だって、東北の人たちは私よりももっと恐ろしい体験をしたでしょう。海に流されて茨城まで来た人たちもいました。その人たちと比べたらきっと私の体験はそうではないと思います。それでも、すごくこわかった。

私はその経験が直接仕事や行動につながったわけではありませんが、それから「やりたいことはやる」「できることからやってみる」と行動をするようにしました。いつ自分が死ぬかはわからない。明日生きているかも誰も知らない。だから後悔しない選択を考えるようになりました。

私の原点はなにか。

私の原点は。

最期までお読みいただきありがとうございました!