鈴木晋二

広告プロモーションの企画制作を経て、コミュニケーションプランナーとして奮起中。社会が大…

鈴木晋二

広告プロモーションの企画制作を経て、コミュニケーションプランナーとして奮起中。社会が大きく変化する中で、東京の街を見渡しながら、ひらめいたアイデアを惜しみなくnoteにしたためていきたいと思います。

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自己紹介と、noteを始める理由

はじめまして。鈴木晋二です。 自己紹介​まずは簡単なプロフィールから。 株式会社concent works 代表取締役 兼 コミュニケーションプランナー。1979年生まれ。学生時代から、映像や音楽、演劇、グラフィックなどさまざまな表現分野で活動。その経験をベースにプロダクションでイベントプロモーション分野の制作活動をスタート。大小様々なイベントに関わる。その後、フリーランスを経て広告代理店に所属。業務領域を広告プロモーションのプランニングパートにシフト。2014年に独立。

    • 大切なのは当事者意識だった

      大学を卒業して18年。以来、私は広告・プロモーションの 仕事に携わってきました。始めはイベントのプランニング・ プロデュース、そこから広告全般のプランニングに拡がり、 いつの間にかブランディングや事業開発のプランニングにも 関わるようになっていました。 2014年に制作会社を立ち上げ、ある程度はやっていけるく らいのお仕事もいただいてきた最中、2020年に新型コロナ の感染が拡大。関わっていた様々なプロジェクトが頓挫し、 仕事を失いました。 売上が減っていくことに困窮しな

      • 勝てる企画に価値はない

        ちょっと不思議な夢を見た。 自分にとって意味深だったので、書き残しておこうと思う。 自分が関わっているプロジェクトに突然超有名なクリエイティブディレクターが参加してくる。 会議の日、あまりの緊張から僕はうまく説明ができず辿々しくなる。 そこに、クリエイティブディレクターとそのチームは勢いのある世界観を描いたプレゼンテーションを展開して、その場にいたプロジェクトメンバーは圧倒される。 そして、 すごい世界観ですね! いいですね! これで進めましょう! みたいな流れにな

        • 企画書のコザイク

          僕は企画書を書くときは、PowerPointを使います。 素材づくりなんかには、他のアプリケーションも一部活用しますが、 大半の作業はPowerPointです。 社会人一年目からずっと使っているので、 15年間もお世話になっていることになります。 その間、PowerPointもいろいろとアップデートされてるし、 最近ではオシャレなテンプレートとかも結構増えていて、 会社概要などのパンフ作りに活用するなんてことも出てきています。 (ちなみに僕が使っているのはmac版で、wi

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        自己紹介と、noteを始める理由

          エモい企画書作りのコツ

          僕はこれまでイベントプロモーションの企画をメインに、 様々な企画書を作成してきました。 作成ツールは主にpowerpointです。 (場合によってkeynoteかindesignも使います) 漠然とですが、数えてみると500件以上の企画書を作成しています。 毎回ゼロから作るタイプなので、テクニックと言えるほど、固まった 手法を持っているわけではないですが、僕なりのコツをまとめることで 少しでもみなさんの参考になればと思います。 早速書いていこうと思うんですが、企画の思考術

          エモい企画書作りのコツ

          商品やサービスを売るのに、検索エンジンに対応する必要はあるのか。

          先日、クライアントとの宣伝会議に行った時のこと。 議題はWEB上でサービスを認知してもらうために、 どんな検索ワードが必要か、どんな記事が必要かといった感じでした。 こういうワードで検索するんじゃないか? こういうこと書いといた方が気になるんじゃないか? あれこれ話しながらも、その時僕が気になったのは、記事の閲覧数。 汗をかいていろいろと記事を作ってきながらも、どれも月間で1桁。 記事の内容が悪いなら、離脱数が伸びるはず。。 閲覧数が少ないんだから、そもそも記事に到達し

          商品やサービスを売るのに、検索エンジンに対応する必要はあるのか。

          スイッチになった3つの意識改革

          僕は元々、人を傷つけないコミュニケーションをしてきた。 子供の頃、引越しの多かった僕は、 いつも新しい場所で、新しい人との出会うたびに、 とにかくニコニコしてきた。 いきなり嫌われたくなかったから。 自分を主張せず、目立たず、そこにいても邪魔にならないようにしていた。 できあがった差し障りのない僕という人格は、誰にも嫌われなかった。 でも、誰にとっても大事な人にはなれなかった。 それでも、それでいいんだと思っていた。 上にもいかず、下にもいかない。 平均を走り続けていれば

          スイッチになった3つの意識改革