見出し画像

娘のプチ登園拒否に少し悩んでいたのだけど、公園でケロリとお友達と遊んでいる姿に不安が吹っ飛んだ話

“娘ちゃん、なんでいっぱい休んでるのー?〇〇ちゃんがずるいって言ってたよー?”

娘のいない場で私に向けられた問いかけに、それは、もしかしたら〇〇ちゃんの言葉を借りたその子の想いかも知れない…と、学校での様子がわからない私は勝手に心配になって、こう答えた。

“あのね、うちは弟がまだ赤ちゃんでしょ?赤ちゃんはすぐにお熱を出すんだけどね、家族が熱を出してると、今は学校お休みする決まりがあるんだよ。だから、たくさんお休みしてるの。”

家族に37.5度以上の風邪症状が出ていると、娘が通う小学校は登校自粛になる。隔週で熱を出している息子さまのお陰?で、あんまり学校に行きたくない娘は喜んで学校を休んでいる。(でも結局、息子の看病やら仕事やらで親はあまり娘に注意を避けないので、“つまらない”と不貞腐れていることも多いのだけど。)

でも実は、それだけではなく、「行きたくないから、休む」という選択を、我が家では認めている。実際は息子がマジでしょっちゅう熱を出すせいで、娘が学校を休んでいることが多いのだけど、2割くらいは本人の意思で学校を休んでいる日が紛れ込んでいる。

だから、「ずるい」と言われてしまうと小心者な私はついつい心配になっちゃったりする。大丈夫かな??「ずるい」って言われて、お友達いなくなったりしてないかな??と。小さい頃の自分と重ね合わせて、勝手に不安を大きくしてしまう。ついつい出てくる“必殺!!親による悪気のない自己投影♪”ってやつである。


今日、お友達たちと公園でめっちゃ楽しそうに遊ぶ姿を見ていたら、一瞬でそんな不安は飛んでいったんですけどねー。小さな一言を、自分の過去の体験から悪い方へ、膨らませるとか、本当に不毛だったなー苦笑 百聞は一見に如かず、である。

万が一、お友達とうまく言ってなかったとしても、「ずるい」と向き合うのは娘本人がする事なのである。そもそも、この世に生きる78億人が納得する平等や公平なんて未だかつて存在していないだろうし、生きている以上、いつだって誰しもが「ずるい」のかも知れない。娘は私ではないし、令和の大都会で育っているので、「ずるい」と言われるのではなく、“なんか知らんが自由人でいいね!”と、言われる道を、娘はしれっと進めるはずだ!!と、信じてあげればいい。

と、頭では考えられるのだけど、ついつい小さい枝葉だけを見て、大きな不安に襲われたりしちゃうんだよね。そして、それは単なる自分の傷だったりする。


小学校に入ったばかりの頃、私は、「ずるい」の圧力に耐え切れず、頑張って学校に通っていた。最近、気付いたのだけど、相当、担任の先生が怖かったらしく、本当は学校に行きたくなかったのだと思う、ひたすら怖くてビクビクしてたことしか覚えてないんだけど!そのトラウマを実は昨年末くらいまで無自覚に引き摺っていて、でも蓋をしてあんまり記憶が無くなっているくらいに、小学校に入ったばかりの頃の環境は強烈に私の心に爪痕を残していた。

それでも、行きたくないのに無理して学校に通っていた私は、やっぱり耐え切れず、軽い体調不良(微熱や吐き気、頭痛など)を、しょっちゅう引き起こし、学校へ行っても保健室に駆け込んでいた。保健室の先生とのやりとりはすごくよく覚えている。とてもよくして頂いていたのだと思う。私が安心して息をできる場だったのだろう。でも、結局、同級生たちに“仮病なんでしょ?”、“ずるい”と言われて、しんどさの悪循環に陥った。そして、そんな自分を『弱くてダメな人間だ』と、これまたつい最近まで責め続けていて、もうほとんどそんな気持ちは残ってないつもりでいたんだけど、それでも娘の姿を見ていると、今でもやっぱり時々、当時の自分が顔を出したりするのである。古傷が疼くってやつである。(と、カッコよく言ってみるw)


うちの親は「休みたかったら休めばいい」といってくれていた(小学校の頃は保健室利用過多で校長室に呼び出されたらしいのだけど、その時、校長先生にも「本人が休みたいって言ったら休ませるんで、心配しないでください」と啖呵切ったらしい!ほんと、いい親に育てられたな、私!!)けれど、私は“行かなきゃいけない”気がして、毎日通っていた。

周囲の圧力に負けて学校に通っていた部分が大きくて、本当は行きたくないのに無理に行っていた弊害も、そこから拗らせてしまった部分も多々あるけれど、さらには、社会の枠組みに馴染めない自分には未だに嫌気がさして定期的に落ち込んで、軽い鬱状態になるけれど…苦笑

それでも!!“自分で決めて”学校に行っていたので、大人になった今、後悔はしていない。

絵を描いてお金を頂くという技を編み出して、最近、ようやく社会との接点が本気で見つかった気がしている37歳の私。“本当は行きたくないのに、無理して行っていた”所から拗らせた弊害をひとつずつ取り除いて、“自分を生きる”と本気で覚悟を決めるまで30年かかってしまった。でもでも!!“自分で決めた”積み重ねの中で30年以上もがいたからこそ、ちゃんと自分を生きていく覚悟を持つことができたとも言える。

「休んでもいい」という選択肢を与えてくれていた両親にはとても感謝している。
結果、私は学校に通ったけれど、でも!『別の選択肢がある』ということだけで、人生は無限に拡がっていく。

だから、私は娘にも「休んでもいい」という選択肢を与えている。準備が間に合わなかったから、寝坊したから、という“気分”で行きたくないという日は基本、無理矢理にでも学校に行かせているけど。でも、気分ではなく「休みたい」という意志は可能な限り尊重している。もちろん仕事の都合がつかないこともあって、保育園時代は、「今日は頑張って行ってくれれば、明日なら休めるよ?」などとお互い調整していたんだけど、小学生になると、一人で本読んだり勝手に過ごしてくれているから、「相手できなくてもいいなら、休んでいいよ」と言えるようになってきた。

そうやって、我が家の方針は娘が2歳くらいの時から決まっていて、迷いも無いはずなんだけど、それでも「本当に、これでいいのか?」と不安に襲われる時がある。しょっちゅうある。小学校に入ると、学校での様子が見えにくいという先人の皆様たちからお話は聞いていたけれど、緊急事態宣言で授業参観や運動会も親の参加はできなくて、お友達とどう過ごしているのかが、本当に見えないのも、不安を大きくしている一つだったのかもなー。

あんまりにも学校をつまらなそうにしてるから、お友達ができているのか、心配になってしまったんだよね。。。だから、“「ずるい」って言ってたよー”という何気ない一言を、大きく歪んで解釈して一人で勝手に不安になってしまっていたのだ。こどもの「ずるい」なんて、3秒に1回くらい出てくる言葉かも知れないのにw そして、その言葉に傷ついているのは娘じゃなくて「昔の私」に過ぎないのに!!

今日、公園でたまたまクラスのお友達たくさんに会って、めちゃくちゃ仲良さそうに!楽しく遊ぶ姿を拝見して、お母さんたちからもいろんなご家庭の話を聞いて、すごく安心したのでした。先生から電話かかってきたり、学校行きたくない!ってなったりしてるの、うちだけじゃなかったし笑 あー、本当に心配し過ぎてたなw
むしろ、そんな私の不安が娘に伝わって悪影響があったかも知れないなーと反省したのだった。

いやあ、しかし、公園って凄い!!そして、親友(オヤトモ)も凄い!!一瞬で不安が吹き飛んでしまったよ…!家の中で悶々とするのでなく、外へ出るって大事だなぁ◎

3-5年後に家族で世界に飛び出します、たぶん◎