終末のフールとこの世界の片隅に
昨年末、今年の手帳を買い求めた際、7月24日「スポーツの日」と印字されたスペースに「オリンピック開会式」と書いた。乱雑な二重線で消したのはいつのことだったか。遠ざかってしまったオリンピックは一旦さておいたとしても、4連休、そしてその後にも少しばかりの夏季休暇が控えているのに、どうにも気持ちがこわばりがちだ。ここ3日間、東京では連続して200人以上の新規感染者が確認されている。7月17日の感染判明者数は293人。このなんだかぞわぞわする感じは、数カ月前に胸に押し寄せていたものに近い。
例年であれば、おおむね旅行へ出かけていた。人出の多いお盆の時期からは少しずらして、どこかしらの地方都市へ。帰省すら憚られる2020年の夏、もはや割り切って家で過ごすより他にない。
せっかくだから、過去に好きだった作品をじっくりと味わい直す時間にしたいと思った。いま棚から取り出しているのは、小説「終末のフール」と映画「この世界の片隅に」。どちらも、変わってしまった世界の下にある市井(しせい)の人たちの暮らしをやさしい筆致で描いた物語だ。
八年後に小惑星が衝突し、地球は滅亡する。そう予告されてから五年が過ぎた頃。当初は絶望からパニックに陥った世界も、いまや平穏な小康状態にある。仙台北部の団地「ヒルズタウン」の住民たちも同様だった。彼らは余命三年という時間の中で人生を見つめ直す。はたして終末を前にした人間にとっての幸福とは?今日を生きることの意味を知る物語。
「終末のフール」 (2006)
1944(昭和19)年2月。18歳のすずは、突然の縁談で軍港の街・呉へとお嫁に行くことになる。夫・周作のほか、周作の両親と義姉・径子、姪・晴美も新しい家族となった。配給物資がだんだん減っていく中でも、すずは工夫を凝らして食卓をにぎわせ、衣服を作り直し、時には好きな絵を描き、毎日のくらしを積み重ねていく。1945(昭和20)年3月。呉は、空を埋め尽くすほどの艦載機による空襲にさらされ、すずが大切にしていたものが失われていく。それでも毎日は続く。そして、昭和20年の夏がやってくる――。
「この世界の片隅に」(2016)
2006年出版、「終末のフール」は伊坂幸太郎による短編連作集である。物語の舞台は、小惑星の衝突によって地球が滅亡すると予告された後の仙台の団地「ヒルズタウン」。独自の着眼点と言い回しで以て、愛すべき会話を繰り広げる伊坂ワールドの住人たちは終末であっても健在だ。世界があと3年で終わるという時下にあって、どうにか小康状態を取り戻した街で暮らす登場人物たちの日常にある、ささやかな決意と思いやり。読了後、なんとも愛おしい気持ちになった作品だ。
片渕須直監督作品「この世界の片隅に」は、主人公・すずの戦時下における暮らしを描いたアニメーション映画である。戦中の広島で、軍港の街・呉に嫁いだ女性の物語。のんびりしたすずの日常の描写と、それを演じる能年玲奈のやわらかな声が見事に調和し、戦争を描いた作品にはおよそ似つかわしくないほのぼのとした空気がつくり出されている。1945年の8月が近づくにつれ、戦禍がいよいよ差し迫り、その空気にもだんだんと不穏な影が色濃く現れてくるのだけれども、この作品を見終えた後に印象に残るのは、すずを取り巻くあたたかな家族の情景だ。そんな為す術のない市井の人々にも、戦火は容赦なく降り注ぎ、やるせない悲しみを生む。戦争体験者の語りに接する機会も希少になった現代において、戦争の傷みをいかに後世に伝えていくかという課題に対し、一つの答えを示した作品だったのではないかと思う。
不穏な知らせばかりが飛び交う日々であっても、生活は続いていく。ここからは令和2年の現実の世界の話だ。
特定の品物が店頭から姿を消し、募っていく不安。そしてそのことを店員に問い詰める殺伐とした光景。そういうものはもう既にたくさん見た。それでも4月の始めごろだったか、たまたま訪れたドラッグストアにて「マスクが入荷しました」と店員さんがアナウンスをした直後、その場にいた全員が何も言わず1袋にだけ手を伸ばし、そっと買い物カゴに入れる場面を経験した。そのとき皆があまりに落ち着きはらっていて静かで、だけどもそれぞれの人の指先には感情がにじみ出ているような空気があって、そのときに私は、終末の世界で息をころすようにして生きるヒルズタウンの住人のことを想った。
学校再開に向けてご子息のマスクを手作りしていたら、以来裁縫に目覚めてしまったのだという同僚もいる。最初はシンプルなものだったが、最近では凝ったデザインに挑戦して、楽しんでいるようにすら見える。情勢の変化に戸惑い、愚痴をこぼしながらも、工夫をこらして生活を切り盛りしていく彼女に、すずさんの細い腕が重なった。
世界が変わってしまったんだなあと実感しながらも、これまでと同じスーパーで買い物をし、なじんだ我が家へと急ぎ帰るルーティーンは続いていく。
世界を救う英雄の物語も悪くはないが、あえて今見返すなら、そのような力を何も持たない小さき人たちの話が良い。そのとき何が浮かんでくるか。新しい世界を生きる心持ちについて、何かのヒントがあるような気がしている。
あとがき
読書のおもしろさの一つに、後から読み返したとき、自分の変化に気づくことがあげられるかなと思います。子どもの頃に出会った作品なんかは特に、主人公の年齢をとっくに追い越してしまっていて、こちらの視点が大きく変わったりする。たくさんの作品との出会いは、後に続いていく財産だなと思います。
伊坂幸太郎さんの作品はずいぶん前から大好きです。この方の描く女の人が好き。芯が強くて茶目っ気があって、言いたいことの伝え方が一つひとついじましい。ハラハラするミステリーはページをめくる手がとまらなくって最高ですが、その間に差し挟まれる登場人物たちの絶妙なやりとりや名台詞がどうにも魅力的で、何度読んでも楽しいものばかりです。
「終末のフール」には8つの短編が収められています。「太陽のシール」「天体のヨール」が気に入っていましたが、改めて読むとどのように変わるでしょうか。
あと3年で世界が終わると知っていても、ヒルズタウンの住人たちはオセロをしたり草サッカーをしたりしている。その感じがなんだか妙にリアルで、新型ウイルスに振り回されながらも、一度家に帰ればまったりと暮らしている今に重なるところがあって、ああじっくり読み直したいなあと思った次第であります。
出典
[1] amazon 伊坂幸太郎「終末のフール」(2006)
https://www.amazon.co.jp/dp/4087464431
[2] U-NEXT「この世界の片隅に」(2016,日本)
https://video.unext.jp/title/SID0029241
[3] 映画「この世界の片隅に」 (公式Webサイト)
https://konosekai.jp/
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?