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はじめて夜通し起きていることにチャレンジした、少女の日の思い出



先日、親友の家に泊まり夜更かしをした。

子供が産まれてからはすっかり早寝早起きになっていたから、久しぶりのことだった。
独身の頃は、2時、3時に眠ることが当たり前だったのに。

映画を見たり、語り合ったり。

とにかく楽しくて、

「まだ寝たくない」
「もっと起きていたい」

と思ったけれど、襲いくる睡魔に勝てず、意識を失うように眠りに落ちた。

寝落ちる直前、カーテンの向こうがうっすらと明るくなっているのが見えた。

夏は夜明けが早いな。
そう思った瞬間、私はふと、人生ではじめて夜更かしした夏の日のことを思い出した。


その日のことは今でもよく覚えている。
小学生の、夏休みのことだ。

私が、「夜通し寝ずに朝を迎え、そのままラジオ体操に行こう」と決めたあの日。


当時は夏休みになると、毎朝ラジオ体操があった。(今もやっているのだろうか?)

近所の公民館に集まり、眠い目をこすりながら体操して、当番の大人にハンコを押してもらう。
「なんで休みなのにいつもより早起きしなきゃいけないんだ!」
なんて、文句を言いながらも、ハンコでびっしり埋まったカードを見ると、なんだか誇らしくて。

最終日にはお菓子ももらえたりして。
それまでずっと来てなかったくせに最終日だけ来る子もいて、もちろんみんなに文句を言われたりしていた。

面倒だけど、なんだかんだラジオ体操は嫌いじゃなかった。
いつもより早い朝の匂いも、
いつもと違った場所で同級生に会えることも、
帰宅して食べる朝ごはんも、
非日常的で、なんだかワクワクして。


小学校も中学年くらいになると、私は夜更かしの楽しさを覚え始めてしまっていた。
親に隠れて、深夜にやっている番組をこっそり見たり、漫画を好きなだけ読んだり。

幼い頃の私にとっては、夜は「怖いもの」だった。

「ずっと寝なかったら、0時をすぎたら、どうなっちゃうんだろう」
「もしかして、世界がなくなってしまうんじゃないか」

そんなふうに、夜に怯えていたのに、

小学生になった私は、0時を過ぎても世界が無くならないことも、時が経てば朝が来ることも知っていた。

夜はもう、ただ怖いものではなく、甘美な世界の入口へと変わりつつあった。

そして思った。
「夜から朝になる瞬間を、この目でちゃんと見てみたい」と。

それはとても素敵な思いつきで、実行することを考えるだけでワクワクした。
夜通し起きているということは、いつもなら学校から帰って眠るまでに数時間しかない自由時間が、3倍、4倍になるということだ。

誰にも邪魔されない、私だけに与えられた、たっぷりの自由時間。
その時間を、一体何をして楽しもうか。

好きなテレビ番組を見て、終わったら漫画を一気読みして、お絵描きをして、それから、それから…。

考えるだけで、胸は高鳴る一方だ。


私はその素敵な計画を夏休みに決行することにした。
目標は、「一睡もせずに朝を迎え、そのままラジオ体操に行くこと」だ。

一度も眠ることなく完徹した身体で、ラジオ体操に行く私。
周りのみんなはもちろん寝て起きてきたのであり、その中で一睡もしていないのは、きっと私だけ。でも、そのことは、周りの誰も気づかない…。

一晩中寝ずに参加してる子供なんてきっと、私だけだろう。
そう思ったら、自分が特別な存在になったような気がして、ドキドキした。

私は、誰も知らない、とんでもない秘密を抱えたままラジオ体操をするのだ。

想像して武者震いがした。
早くその日が来ないかなと心待ちにして、私は「はじめての夜更かしグッズ」を揃えることに奔走した。
その日一気読みする漫画とか、お絵描きする画用紙とか、こっそり食べるお菓子とか。


そうして万全の準備をし、迎えた当日。

夜になると、私は何食わぬ顔で歯磨きをし、両親に「おやすみなさい」と言って、自室に籠った。

いつも寝る時間になってもベッドに入ることはせず、ベッドからマットレスと布団を引き摺り下ろし、テレビの前に敷いた。

小さな8インチの小型テレビ。
この日のために、父の部屋からこっそり借りてきたものだ。
こんな小さな箱でも、当時の私にとっては世界につながる宝箱だった。

周囲にお気に入りの漫画を積み上げ、こっそり隠しておいたポテトチップスとジュースを並べる。
机の上には、画用紙と鉛筆をセット。
これで、テレビに飽きたら漫画を読み、漫画に飽きたらお絵描きをするという、ハッピーサイクルの完成だ。

これからはじまる夜更かしのために、私は私だけのために、完璧な空間を作り上げたのだ。

さぁ、ショータイムのはじまりだ。

好きな音楽番組を見て、
飽きたら漫画を好きなだけ読んで、
それに飽きたら絵を描いて。

楽しくて、楽しくて、
楽しくて仕方がなかった。

この夜が、永遠に続くような気がした。

好きなことをしている時の、「もう少しで止めなきゃいけない」がないのは、こんなにも楽しいのかと思った。

夜に眠らなければ、こんなにたくさんのことができるのに、どうしてみんな寝てしまうんだろう!

当時の私は本気でそう思った。
大人は夜更かしどころかオールしたり、夜も働いている人達もいるなんて知らなかったから。


本当に楽しかった。

1時くらいまでは。



2時を超えたあたりから、なんだか落ち着かなくなってきた。

あまりにも静かなのだ。
もちろん、テレビの音があるから無音ではないけれど、消したらきっと、何の音もしないのだろうという静けさ。
この部屋が外の世界とは切り離されたような、そんな感覚。

インターネットもない時代だ。
外とのつながりは、この小さなテレビだけ。

そんなテレビももう、砂嵐がザーザーと流れ始めてしまった。
途端に、世界とのつながりを本当に絶たれたような感覚に陥った。


まるで自分だけがこの世界に取り残されたかのように思えた。


そっとドアを開けると、廊下はしんと静まりかえっている。
家族はみんなこの家の中にいるのに、起きているのは、私だけ。

その事実に、私は急に怖くなった。

それまで夢中になっていた遊びをどれもやめて、一人部屋の端で体育座りになってうずくまった。

チャンネルを変えて、何かやっている番組はないかと必死に探した。
通販番組を見つけて、ホッとした。
けれどそれもすぐに、砂嵐が走り、番組はほとんど終了してしまった。


静けさが怖い。
何か出たらどうしよう。
「何か」てなんだろう?
幽霊…?

一人で考えていると、よくない想像だけが広がり震えた。

あの、「両手を大きくあげてーっ!」という、やたらうるさいラジオ体操の声が恋しかった。

早く早く、朝よ来てくれと願った。


そうしているうちに、「恐怖」の次の強敵が、私を襲ってきた。

「眠気」だ。

興奮が冷めたからなのか、動くのをやめたからなのか、急激に眠気に襲われた。

これまで眠くなかったのが嘘のように、まぶたが重くなった。

ベッドに横になるのはまずいと思い、
立ちあがってうろうろして、
スクワットとかしてみたりして。
とにかく寝ないように頑張った。

先ほどまでの楽しさはいずこへ。
恐怖と戦い、眠気に抗うだけの時間。

今はもう、「とにかく朝まで寝ないで起きてラジオ体操に行くこと」だけを目指して、ひたすら睡魔と戦い続けた。


4時過ぎ。
ついに、外に光が刺してきた。

「外が明るくなっていく…」

私は幼いながらに深く感動した。

本当に空は明るくなるのだと、暗闇は明ける時が来るのだと。
それを、この目で見ることができたことにとても感動した。

どこからともなく聞こえる「コケコッコー」「ちゅんちゅん」という鳥の声が、私を安心させた。

5時になると、もう達成感でいっぱいで泣きそうだった。

ラジオ体操は6時過ぎ。
もうここまで来れば、勝ったも同然だ。

外はもう、景色が見えるくらい明るくなっていた。
かすかに鳥の声も聞こえてくる。
これは、私への祝福の歌だ。

やった、私はやり遂げたのだ!!


お気に入りの夏のワンピースに着替え、ラジオ体操カードを首にかけ、


いざ、ラジオ体操へゆかん。


胸を張って、部屋のドアを開けた。




「あんた、何してんの」


母の声で目を開いた。
事態を飲み込むことができず、私はきょろきょろと頭を振った。

ラジオ体操から帰ってくるなり、寝てしまったのだろうか?


…いや、違う。

「ラジオ体操は…?」

私はおそるおそる母に聞いた。
返事を聞く前に、胸元のカードを見ると、一つだけ空いていた。

今日の分に、ハンコは、ない。

外を見るとすっかりカンカン照りで、先ほどのぼんやりとした青暗い朝の感じと違っていた。


私は一瞬で悟った。
ラジオ体操に行く直前で、倒れるように寝てしまったのだと。

「起きたならご飯食べなさいよ」

母が言う。
きっと母は、私が朝起きて支度をしているうちに、二度寝したと思ったのだろう。

違うのに。
私はもっと、すごいことをやり遂げたのに。

悔しさと深い絶望に襲われた。
あんなに苦労したのに、頑張ったのに、やり遂げることができなかった。

あの時の気の緩みが敗因だ。
着替えた後、まだ公民館に行くのは早いと、ベッドに座ってしまったのだ。
そのままきっと、倒れ込んで寝てしまったのだ。
自分の愚かさを悔やんだ。

結局、私のはじめての夜更かしは失敗し、ラジオ体操も完走できなかった。

悔しくて泣きながら布団に入り、昼過ぎまで爆睡した。

目が覚めるとそんな無念さはどこへやら、空腹さから、台所に置いてあったスイカを頬張った。
めちゃくちゃ美味しかった。


目的は達成できなかったけれど、この日知ったことはたくさんある。

真夜中の顔。
不気味な静けさ。
朝の静かな明るさ。

1日の中で、こんなにも世界は顔を変えるんだと言うこと。


夜の先には、ちゃんとまた朝がくるのだということ。

自分で決めたことをやり遂げられないと、こんなにも悔しく、悔いが残るのだということ。


あれから、私は何度も夜更かしを経験した。
夜更かしもオールも、いつのまにか、なんら特別なことではなく当たり前になっていた。

学生や社会人の頃、
朝まで酒を飲んだことも、
友人とカラオケオールしたことも、
卒業論文を書くために寝なかったことも、
子供の夜泣きで起こされて、朝まで起きていたことも、
数えきれないほど、ある。

もう夜中まで起きていても、一人震えて、膝を抱えることもない。
夜明けの景色に感動することもない。

それでもたまに、あの時の不安とか寂しさとかを思い出しては胸がぎゅっとなる。そして思う。
「やっぱり、やり遂げたかったなぁ」と。

苦いような甘いような、私の夏の思い出である。

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