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解毒

母は、言葉の端々に毒っぽさが満ちている人だった。どうしてそんな見方をするのかと疑問に思うほど。言葉を抱えていられない人なのかもしれない。でも、私はゴミ箱ではない。

励まそうとしてくれた言葉に深く傷ついたこともある。結婚や出産が現実味を帯びないとポロッと話したとき、「早いうちから結婚して子どもを産むのは他にやることがないからだ」と母は言った。言葉を失ってしまった。家庭を営むことも、そうではない暮らしをすることも、どちらも尊い。子どもという命を預かることもまた、とても尊い。何故、誰かを貶すのだろう。何も、何も励まされない。それどころか、とても居た堪れない。そう思うのは勝手だけど、私を巻き込まないでほしい。友人知人の子どもたちを目にすると、その言葉が時々こだまする。

幼き子たちは等しく愛おしい。彼らの目には世界は未知と煌めきと恐れに満ちていて、何もかもが真新しく映っているはずだ。一挙手一投足、すべてが愛らしい。そう思う私の心を毒さないでほしい。たぶん私は、家族を営むことは絶望的だろう。家族とは何か分からない。あなたが当たり散らした私にも心に鬼が棲んでしまった。大事な人を追い詰め、苦しめたくない。私は私の、理性を超越する加害性がこわい。

幼き家族を守り、慈しむ自信などない。でも、どこかの誰かの子たちを愛おしいと思う気持ちは失いたくないし、奪わないでほしい。時が戻せるなら。私は、あの家から逃げるべきだった。思い通りにならない私を否定し、追い詰め、苦しめる言葉を浴びてはいけなかった。いつかすっかり解毒されたら、愛する人と暮らすことに怯えずに済むのだろうか。解毒剤はまだ開発されていない。

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