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また一人、推しを見送ってしまい【#心の柔軟体操】

また一人、推しを見送った。

衝撃を受けながらも、ついにその時が来てしまったことへの気味の悪い、腑に落ちる感じを覚えた。最悪だ。

とても繊細な子だった。言動の奇抜さはあれど、まるで桃のような、柔らかな子だと私は思っていた。

SNS上で、強い人だと思っていたとの書き込みに目を疑った。嘘だよ、柔らかな心を持っていたのは自明だったじゃないか。それとも、私が穿った見方をしていたのだろうか。

あの子はずっと傷ついていて、ずっとずっと危うかったじゃないか。苦しみや辛さ、ひいては存在が否定されたかのように感じてしまった。そんなつもりじゃないとは頭ではわかってるんだけど。

社会の当たり前に抗う子だった。時に度肝を抜くような言葉や振る舞いが、槍玉にあがった。ずっとずっとハラハラしていた。いつかこんなクソみたいな世界からいなくなっちゃうんじゃないか、と。

桃のようなあの子を守る、フルーツキャップになりたかった。なれるわけなんてないのに。実際、なれなかったし。

スターとファンの間に横たわる虚しさ。ファンはもらってばかりだと2年ぶりに突きつけられた。安らかに眠ってほしい。

日付:2019年10月15日(火)、執筆時間:約20分、場所:地下鉄、音楽:なし

振り返り:悪意とどう向き合うかをサブテーマにして生きてきたけど、大切な人が悪意に飲み込まれるのをただ見ているのも罪深いよね。おかしいことをおかしいと後悔なくを言ってきたのか自信がない。見過ごしてきたんじゃないか。気づいていたのに声を上げなかったのも同罪じゃないのか。苦しい。

毎日、仕事の休憩時間にエッセイ?を書き続けている方をとてもリスペクトしており、毎日ではなくとも書いてみようと思い立ってみた。#心の柔軟体操 と名付けてみた。本当は心の筋トレにしたかったけど、既出だったので。出勤か退勤時に書ければいいな。

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