【こんぽたいむ。】『ユナ・えりか』

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『スイレン・グラフティ わたしとあの娘のナイショの同居』の前身と言いますか、企画通る前のボツ稿です。
おんなじクラスで隣の席のユナ(ギャル)とえりか(オカン系)の他愛ない日常のお話。『スイレン』よりかはGがLしてる感じです。
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1.つけ爪

 ページをめくる音を女子たちの嬌声が掻き消した。
 ちらり、と、えりかが視線だけ放ると、教室の後ろ口で四・五人がなにやらはしゃぎ合っている。中心に立っているひときわ派手なその娘が、自慢げに両手の甲を晒して長い指を見せつけていた。周りの娘たちはいずれも、共犯者のような笑いで囃し立てている。
 おや、と、えりかは不思議に思った。が、すぐに関係ないことだと見切りをつけて、本の紙面に目を戻す。午後の授業が始まるまであと一〇分、区切りのいいところまで読んでしまいたい。園子さんは光子さんを絵のモデルにするために家に呼んで、それで、
「吉サン、それナニ読んでんの?」
 無邪気に覗き込む、その影が落ちてくる。えりかがぎくりと身を強張らせている間に、相手はガタンと隣の席に座った。
 井巻遊那(ユナ)。さっきまで友達に囲まれていた彼女はさっくり凱旋報告を終えたらしく、自席に戻ってきた。つまり、えりかの右隣に。
 派手で賑やかなユナがすぐ傍にいなければ、窓際・やや後ろめのこのポジションは天国なのに……えりかは内心ため息を吐きながら、素っ気なく返す。
「別に。昔の小説だよ」
「ふぅん?」ユナは椅子の前脚を浮かして、ぷらぷら前後に身体を揺らしている。「吉サンいっつも本読んでんね。次も現国なのに飽きない?」
「だって……あれは本読むって感じじゃないしさ」
「おおー、なんかかっけぇー」
 軽薄な口調だが、バカにする響きはない。滑りに滑って頭に入らない文章から目を離し、ちらり、と見遣ると、その先でユナはニコニコ笑っていた。
 校則に違反しない程度に明るく染まったセミロングの髪を、頭頂部で左右にシュシュで結わいている。ぱっちりした目鼻立ちはよく回る口と相まりハツラツとして可愛らしいが、それも細心の注意を払って施されたナチュラルメイクの賜物だろう。着崩した制服に、自前のワッペンが後付けされている。
 一言で表して、ギャル系女子。それが井巻遊那だった。
 そんな彼女が四月のクラス替えで隣の席になって以来、何かと話しかけてくる。それがえりかには不思議で仕方がなかった。
(ま、井巻さんは誰でも友達タイプだし……あたしもその中のひとり、ってだけだろうけど)
 誰ともつるまず、グループにも入らず、休憩時間も昼の弁当もひとりで済ませるえりかがクラスで変に浮かずにいるのも、ユナがこうして接してくるおかげだった。一年生の時は教室でどことなく遠巻きにされていたのが、ユナが潤滑油になってくれているからか、えりかも自然と馴染んでいた。それがありがたくもあったが、同時に困りものでもある。
 本当ならここで話を終わらせて本を読めばいいのに、
「先生からの呼び出し、すぐ終わったんだね」
 なんて、自らボールを投げてしまっている。
 それを苦々しく思っているえりかを余所に、ユナはぱぁっと顔を輝かせた。
「まーねっ! 今回はさすがにやっべーかな、ってヒヤったけど、そこはウチもまぁーヒャクセンケンマっスから!」
「それを言うなら百戦錬磨でしょ」思わず緩ませてしまった口元を直しながら、えりかはつい問いを重ねてしまう。「今日はなんで呼び出されたの?」
「ん? なんかウチのネイルがバリエモすぎーってマエセンがバッチバチでさー。頭からツノ生えんじゃねーかって思ったね、うん」
 井巻遊那は校則違反の境界を日々見極めんと鎬を削る勇猛果敢なギャルである。彼女が生活指導の前原先生とバトルした結果はすぐさま学内の女子たちに共有され、どこまでのオシャレなら許容されるかの貴重な情報となるのだ。そして今日の議題は、ネイルアートだったらしい。
 そこでえりかは、ようやく最初の違和感にまで辿り着く。
「あれ? でも井巻さん今日はさ……」
「おっ、おー? 吉サンも気づいちゃった~?」
 ユナは椅子の前脚をつけてゆりかに向き直ると、手術でも始めるように両手を構えた。甲をえりかへと晒してピンと伸ばされた長い指の先……には、拍子抜けするほどすっぴんの爪。えりかは目をぱちぱち瞬く。
「あ、あれ……? 四限まで黄色と青のストライプ柄じゃなかったっけ?」
「ふっふーん♪ 吉サンが見たのはこ・れ・か・なー?」
 スカートのポケットをごそごそ右手で探って、取り出したものを差し出すように見せてくる。あっ、とえりかは声を漏らした。ユナの白い手のひらに乗っていたのは、黄色と青の縞柄をした細長い貝殻のようなもの。授業中にえりかが視界の端に捉えたのを、同じデザインだ。
「コレ、ツケヅメ、イイマース。スグ、ハガセル。ベリーベリーベンリネー」
「なんでいきなりカタコト……でも、そっか。これなら先生に見つかっても剥がせばいいもんね」
「そ! まー、実際はけっこー取るのに手間かかるから、その辺は焦ったけどね~ギリセーですよ」
 ドヤッと胸を張るクラスメイトにくすりと笑みを零しながら、えりかは手のひらの上のつけ爪をマジマジと眺めた。
「ナニナニっ? 吉サンこれキョーミある??」
「えっ?」ユナのはしゃぐような声に、えりかは見入っていたことに気付く。「い、いや、別に、そーゆうわけじゃ……」
 と否定しようとして、キラキラとしたユナの視線を浴びてしまい、「……ちょっとだけ、あるけど」と答えてしまうえりかである。一方のユナは水を得た魚のように言葉を弾ませる。
「えっ、ていうかもしかして家でネイルとかやってる系? どこのポリッシュ使ってる??」
「そ、そんな大したヤツじゃ……前にドラックストアで売ってる安いの、つい買っちゃって、ちょっと付けてみたくらいで……でもすぐ、やんなくなっちゃったし」
「そうなん? どして?」
「だってあれ、水仕事ですぐボロボロになるし……」
 そう口にして、えりかはしまった、と冷や汗を掻いた。家のことをにおわせるような発言は、高校に入ってから極力控えていたのに。どうしてもユナ相手だと、ペースが崩れてしまう。
 もっとも当のユナはやっぱり笑って、
「そっか、だからつけ爪キョーミあるんだ」
 と何の気なく言うだけだった。
 ほっとしながら、なぜか泣きそうになってしまったのをごまかすようにえりかは苦笑する。
「ん……そんなトコかな。でも、そういうの作ってもらうのって高いんでしょ? やっぱりあたしじゃ手が出ない、かな」
 少し感じが悪いかも、と思いつつ、これ以上ボロを出す前にえりかは話題を打ち切った。机の上の文庫を閉じて、引き出しの中から五限の教科書を取り出し準備をする体を繕う。予鈴が鳴って、周囲も少しずつ休憩時間から授業へとモードを切り替えていく。
 ふう、とえりかが一息ついていると、右から手が伸びてきて机の上に紙切れを置いていった。視線を放ると、ユナがいたずらっぽくウインクしてくる。
 残された紙切れを手に取って見てみると、
『今日の放課後、三〇分だけ時間ちょーだい!』
 と、かわいらしい字のメモ書き。
 思わず右を向いて尋ねようとしたえりかの声は、本鈴とともに開いた扉の音に消されてしまった。

   ◎◎◎

 グラウンドで、運動部がランニングしている。実習棟では吹奏楽部が演奏している。微かに遠くにそんな音が聞こえるばかりで、昼間に満ちていた生徒たちの喧騒は教室のどこにも見当たらない。そんな放課後特有の空気の中、トイレを済ませたえりかは自身の教室まで戻ってきて、引き戸を開ける。
 同級生が軒並み引き払ったがらんどうの中に、笑顔で手招きしてくる女子がいる。井巻遊那だ。
 ただし、自分の席には座っていない。窓際の一列、その真ん中、えりかの席の前に腰かけている。そしてえりかの机の上には見覚えのない、もろもろの道具が陳列されていた。
「あっ、そーっと入ってきて!」ヒソヒソとユナが声を掛けてくる。「マエセンに見つかったらうぜーから!」
 こくん、と頷いて、えりかは細心の注意を払いながら音を立てないよう引き戸を閉めた。そして気づけば抜き足差し足をしていて、ここまでする必要はないかな、なんて思っているうちに席まで帰ってきた。
 着席しながら見てみると、机の上にはマニキュアの小瓶や中を四角く区切ったケースがいくつか、それに台所に張り付けるような整頓グッズの五連フックまで置いてある。いったい何に使うか皆目見当もつかないえりかに、ユナがわざとらしく咳払いした。
「ハイ、それでは今からネイルサロン・イマキの出張ショップを始めまぁーす」
「えっ?」
「さっ、吉サン手ぇ貸して!」
 にこにこ笑いながらユナがそう言うので、えりかはつられて従い右手を出した。ユナが左手でそれを取ってから、ケースのうちの一つを開けて、取り出した中身をえりかの指先に宛がっていく。
「つけ爪作るの、マジここが一番ポイントだから。自分の指にぴったりなチップじゃないと、カッコ悪いかんね……おっ、これなんかいっかなー?」
「作る……?」
 状況を飲み込めないでいるえりかをおいて、ユナは作業を手早く進めていく。えりかの人差し指、中指、薬指、小指、それから親指と、それぞれに合う透明なネイルチップをケースの中から取り出しては、次々と試し、ひとつずつ定めていく。選んだものをさらに見目好くするために、道具ポーチに入っていた専用やすりで成形までしてくれる。
 その手慣れた動作に、えりかはすっかり見惚れてしまった。が、すべての指のチップを整え終えたユナが顔を上げ、まっすぐ見つめてきたので我に返り、向こうが口を開く前に慌てて訊ねる。
「ちょ、ちょっと待って、井巻さん。これ、どういうこと?」
「? つけ爪作ってんだけど」
「じゃなくて! ……その……あたし、井巻さんにこんなことしてもらう理由、ないよ……?」
 ユナとえりかはクラスメイトで。
 今年の春から、隣の席で。
 挨拶を交わし合うし、時々他愛なく雑談したりする。
 ユナにとっては、あるいはえりかは数多くの友達の中のひとりなのかもしれない。
 けど、その程度だ。特別なことは何にもない。わざわざ自前の道具を持ち出して、こんなふうに労力を割いてもらう義理なんてない。そもそも、そんな義理を誰かと分かち合うことから、えりかは意識的に距離を置いているのだから。
 ――だけどユナはやっぱり、あっけらかんと笑って。
「別にいいじゃん? お隣サンサービスってことでさ」
 軽やかにそう言って、作業を再開する。
 やすって出た細かなクズを綺麗に取り払ってから、両面テープをチップの裏に張り付け五連フックの上に固定していく。淀みないその流れをオロオロと見守るしかないえりかの耳に、ユナの呟くような言葉が届く。
「爪ってさぁ、キレイにしてるとテンション上がるよね。かわいーアートしてると余計にさ」
「え……? う、うん……」
 その気持ちは、えりかにもわかる。三〇〇円ほどのマニキュアを買って、おっかなびっくり塗ってみた日のことは今でもよく覚えている。
 爪をちょっと赤くしただけで、そこだけいつもの日常と違うような、どこか別の世界に繋がっているような、そんなわくわくする想いがこみあげた。
 だけどそれも、皿洗いを終えたあとに見返せばすぐ失せてしまった。剥がれて端が欠けたマニキュアはみすぼらしく、魔法の解けたシンデレラになった気分だった。もっと工夫すれば長持ちするのかもしれなかったが、それから結局何もしていない。家の中の水仕事は、彼女のルーティン。その合間に爪のケアをする手間を考えると、バカらしくなってしまったのだ。
 そんなあきらめと、ひそかに燻ぶっていたかなしみを、ユナの言葉は掬い上げる。
「ウチのつけ爪見てね、吉サンの目ぇめっちゃキラキラしてたから、『あっ、いっしょなんだ』って思ったらさー……なんか嬉しかったの。それじゃダメ?」
 窓から差し込む夕陽が、眩くユナを照らす。
 その笑顔は、どこまでも屈託なくて。ウソなんて、ひとつもなくて。同情や哀れみなんかじゃ、勿論なくて。
 そんな彼女のまごころを無下にするほど、えりかは無粋にできてなかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えようかな」
 気恥ずかしい思いをはにかんで隠しながら、そう言った。途端にユナは、散歩に出かけた子犬のようにはしゃいで見せる。
「よっしゃ、それじゃ一番楽しートコロやるよ! どんなデザインにする? ほーら、ウチが持ってるポリッシュもパーツも、ぜーんぶ使っていいからさっ」
「え、えぇーっと……こんだけ色々あったら、迷っちゃって決めらんないなぁ」
「じゃあさー……この色を、こーしてグラデで……っと」
「あ、きれい……かも」
「なかなかイケるっしょ? そんで、このパールをー……」

   ◎◎◎

 太陽が、住宅街の向こう側に沈もうとしている。机に突っ伏しながらそれを眺めているユナは、傍らに安置している五連フックに視線を移した。
 オレンジの淡いグラデーションでシンプルに塗り上げた、片手分のつけ爪。中指・人差し指・薬指にはそれぞれ一粒ずつ、小ぶりのパールをあしらってある。今は丁寧にトップコートで上塗りをして、乾くのを待っているところだ。もうワンセット、これと同じものを拵えて完成になる。
 約束した通り、三〇分でえりかは下校した。帰り際、申し訳なさそうな顔をしていたが、却ってユナの方が悪いことをしたと申し訳なく感じている。母子家庭で小さい弟妹の面倒をえりかが見ていることはクラスでも知られた話で、忙しい彼女を自分の勝手に付き合わせてしまったことをユナは内心反省していたのだ。
 だが、それでも――
 ユナは、自らの左手を見遣る。指を軽く、動かしてみる。
(………………吉サンの手、さわっちゃった)
 ふにゃ、と口元が緩むのを、ぷるぷる頭を振って喝を入れる。だがすぐまたふにゃふにゃしてしまって、どうにも締らない。このままでは集中もままならないだろう。
(残り、家でやろっかな。せっかくつけてくれんだもん、マジエモいクオリティに仕上げねーと)
 うん、と頷いて、ユナは帰り支度を始める。五連フックにつけた作り立てのつけ爪も、注意しながらそっと剥がして、保管用のケースにひとつずつしまう。
 そして最後のひとつ、中指のそれをつまみ上げたとき、ふと手が止まった。
 目の前にかざして眺める。窓からの夕陽に溶け合うようなネイルに、白々としたパールが清く映えている。それがなんだか流れ星を見つけたように嬉しくて、ユナは願いを呟いた。
「明日はもっと……もーーーっと、喋れますよーに」

 

2.木登り

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