オーケストラ・トリプティーク 第10回演奏会 演奏会感想

オーケストラ・トリプティーク 第10回演奏会
幻の交響作品と新たな創造
2022年12月3日(土) なかのZERO大ホール

指揮        野村秀利
エレクトーン    竹蓋彩花
コンサートマスター 三宅政弘
演奏        オーケストラ・トリプティーク

幻の名作が揃い踏み!超貴重にして重量級のコンサート

曲目
黛敏郎   パッサカリア(1997・未完)
      日本国歌「君が代」(黛敏郎による管弦楽編曲)
芥川也寸志 GXコンチェルト(1974)
休憩
三木稔   交響曲「除夜」(1960・初演)
休憩 
水野修孝  交響曲第5番(2022・委嘱初演)
鹿野草平  よみがえる大地への前奏曲(2011・管弦楽版)

 日本人作曲家の作品のみを取り扱うオーケストラ・トリプティーク。プロデューサー・西耕一氏の呼びかけで、当時35歳以下の若手によって2012年に結成されたこの団体が今年結成10周年を迎える。そこで、西氏が生前の三木より託されていた幻の交響曲などをはじめとする、おそらくここを逃したら今後何十年聴けるかわからない?作品による記念演奏会が行われた。

 個人的に非常に楽しみにしていたコンサートであるがゆえ、偏った目線によることをお許しいただきたい。

追悼演奏で演奏されなかった部分を含む完全版「パッサカリア」

  黛敏郎(1929−1997)は、2022年に没後25年を迎える作曲家。この「パッサカリア」はオーケストラ・アンサンブル金沢の常任指揮者を務めていた盟友・岩城宏之の委嘱で作曲が始められたものの、病状の悪化とともに完成を見ぬまま作曲者は死去。未完・絶筆の作品である。
 この作品、1997年に黛の追悼演奏会で岩城宏之が初演を行なっている。しかし、オーケストレーションとして完成されていたところまでの演奏で、書きかけの最後の部分に関しては演奏されていなかった。当時は、そのあまりにも生々しい作曲経過を披露することが憚られたからなのかもしれない。
 しかし今回はその最後、雫の一滴までを余すことなく演奏。真の意味で「初演」となったはずだ。
 この作品は、過去のクラシック音楽の名曲たちが見事にコラージュされている。ベートーヴェンと第7交響曲などが顔をのぞかせながら曲は進む。しかし、書きかけと思しき所で曲は突然止まる。ここまで書いて黛は逝ったのだという感覚が曲からひしひしと伝わってくる演奏であった。

黛流・君が代の名アレンジ

 続いて演奏されたのは、黛敏郎編曲による国歌「君が代」である。君が代の管弦楽編曲は、近衛秀麿の編曲版などが有名であるが、黛版の君が代の演奏は聴いたことがなかった。一聴して、非常に彼らしい音楽に溢れていることがよく感じられるものであった。
 演奏機会が限られるのかもしれないが、この版による演奏はもっと増えて然るべき作品である。

CDのない本当に幻の作品、芥川「GXコンチェルト」

 芥川也寸志(1925ー1989)はヤマハの社長・川上源一の依頼によって、新しい電子楽器エレクトーン「GX1」のための新作を書いた。1974年に作られたそれは、その名も「GXコンチェルト」である。
 この曲は、今度が3回目の演奏である。1974年の初演(独奏:沖浩一)、2009年のオーケストラ・ニッポニカの再演(独奏:平部やよい)、そして今回である。
 今回の演奏では、竹蓋彩花さんが独奏を務められた。前回が竹蓋さんの師である平部やよいさんであることを考えると、13年という時の流れを感じる。
 この作品、実はレコード、CD共に公式に音盤が発売されていないのだ。ヤマハからフルスコアの販売はあったものの、音源については未だ出ていないのが実状である。
 2009年の時には、この曲を除く演目がCD化された。だが、この作品で起きたPAのミスによる不具合が原因で、この曲の収録のみ見送られたという経緯がある。
 演奏を聴いた限り、PAのバランスに関しては特に大きなトラブルはなかったと思う。しかし、スピーカーを舞台の両端前面に置いていたためか、後列の金管楽器とのタイミングのずれが気になった。(速いパッセージの部分での、エレクトーンが演奏したメロディをトランペットが追いかけるところなど)
 あとは、少しオーケストラに比べてエレクトーンの音量が大きかったことも気になった点だ。
 この問題に関しては、綿密な調整を持ってしても防ぎきれぬ問題があるので、今後の演奏に期待したいところ。
 とかく、この演奏会の音源をぜひCD化してくれることを願うばかりである。

62年間埋もれていた三木稔の大作!交響曲「除夜」

 休憩に続いて演奏されたのは、三木稔(1930ー2011)の交響曲「除夜」である。これは1960年に作曲され、当時のエリザベス女王作曲コンクールへ提出したものの、編成が規定から大きく外れていたため、審査されることなく送り返され、そのまま眠ったままになっていた。
 三木の青年期は、管弦楽と共にあった。

三木の作品一番は23歳の時に書いた《交響的三楽章Trinita Sinfonica》で、その年管弦楽作品で最高の登竜門だったNHK藝術祭管弦楽曲公募で第二位となり、クルト・ウエス指揮NHK交響楽団で初演された。次いで、打楽器10人を含む5管編成、4 楽章32分の巨大な《ガムラン交響曲》は、3管25分という応募制限のあるクイーン・エリザベス・コンクールを目指して書き、当然審査対象とならず送り返された。おまけに、岩城宏之が3管に直したら N響でやるというのにノーサンキューと言ったらしい。未だに演奏されていないこの作品を三木は第1交響曲だと考えている。
 徳島市西部の大きな織物問屋だった生家が、戦中戦後に適応できず破産状態の上に25歳で父に逝かれた。徳島に残っていた祖母、母、弟妹たちに映画音楽の作曲や劇伴の選曲で送金を続ける一方、《ガムラン交響曲》や27歳での結婚後に書き始めた次の交響曲《除夜》も別のコンクールで落選する。折からの無調音楽全盛期に対応する気などさらさら無 かったのだから当然であった。

出典:梶 名生子「三木稔の管弦楽作品について」

 この演奏会のプロデューサーである西耕一氏は、生前の三木に師事しており、亡くなる直前の三木から「ぜひ西くんに初演してもらいたい」と言われていたそうで、そう言った意味ではこの演奏会での初演は、両者ともに悲願であったといえよう。
 タイトルの除夜が示す通り、曲中では金管の低音楽器だったり打楽器の銅鑼であったり変化はあるものの、必ず「除夜の鐘」が108回打ち鳴らされる。
 このあたりのアイデアは1958年の黛敏郎「涅槃交響曲」から来ていることはほぼ間違いないだろう。
 しかし前者が鐘=梵鐘の音をコンピューターでスペクトル解析し、その音を西洋由来のオーケストラという楽器全体、もしくはホールそのものを空間配置によって使用することで再現してみせたのに対し、三木の描く鐘の音はむしろ印象、もしくは要素の一部でしかない。あくまでタイトルは「除夜」なのであるが、そこに描かれるのは除夜の鐘を含めた、非常に抽象性をはらむ音楽であったのだ。
 この長大な大作が、完成から62年もの間埋もれていたことは悲劇でしかないし、三木稔の青年期の管弦楽作品群が初演・再演されるきっかけになることを願う。

御年88歳!現役バリバリの作曲家・水野修孝が描く交響曲第5番

 再び休憩を挟んで、続いてはご存命の作曲家たちの作品が登場。まずは水野修孝の新作「交響曲第5番」
 1934年生まれの水野は今年が88歳。そして交響曲の発表は20年ぶりとのこと。
 しかし、聴こえてきた音楽は、とてもこの年齢の作曲家が描くものとは思えぬ、ヴァイタリティー溢れる非常に若々しい音楽であった。客席で演奏を見つめる水野は、迫る老いはあってもその目、耳は昔と変わらないままの姿を保ち続けているのだ。
 全3楽章の構成。第1楽章、第3楽章で繰り広げられるそれは、往年の水野の作品とも共通する、ロックやジャズの要素ありの大音響のサウンドが展開される。
 第2楽章で聴かれるのは打って変わって、可愛らしいワルツである。だがしかし、油断しているとそこにも彼の凶暴とも言うべき音響が突如現れる。このコントラストをみずみずしく描き切る、その感性には感嘆の思いを禁じ得ない。

復興へ向けてのエール!鹿野草平「よみがえる大地への前奏曲」

 最後に演奏されたのは鹿野草平「よみがえる大地への前奏曲」だ。これは2011年3月11日に起きたあの東日本大震災から、復興へ向かう人々の活気ある姿を描いた作品。未来へのプレリュードとして最後の演目として配置したようだ。
 2011年の初演以来の再演ということで、非常に楽しみな作品だったが、まさにこの演奏会自体を総括するかのような印象も受けた。
 まだまだ書きたい気持ちを胸に半ばで逝った黛。音楽教育など、社会のさまざまな問題へ直面し、真正面からそれにぶつかっていった芥川。
 たとえコンクールで規定違反になろうと、時代の潮流から外れていようと、自らの意志を貫き、遂に日の目を見た三木。まだまだ書ける!これからだ!という高らかな宣言を成し遂げた水野。そんな五人五色の作曲家の信念、そして生き様へのエールを送る楽曲でもあるように思えたのだ。
 もちろん、これまでの作曲家よりも遥かに若い作曲家だけあって、その書法はとても現代的であり、馴染みの深い音楽とも言える。
 しかし、鹿野自身もその音楽に込めた想いというものがあり、また信念もある。
 また、人は皆、ある時に積み上げたものを一瞬にして失い、またその度にどん底から這い上がる精神を持ち合わせている。この音楽も、そんな人間ひとりひとりの生き様を彼なりの音楽として昇華させているのだろう。
 終盤には、客席後方から鳴り響くバンダ(別働隊)の高らかなファンファーレによって感動的な最後となった。
 まさに、万感の思い切々たるもので、惜しみない拍手を送った。

最後に

 会場である、なかのZEROへは今回初めて伺った。中野駅近くにこんな良いホールがあったとは知らず、新たな出会いでもあった。
 しかし、せっかくの第10回記念の演奏会、またしばらく聴くことの難しい作品の集まりであったにも関わらず、客席の埋まり具合は物足りなさを覚えた。隣、前、後ろにも空席が目立ち、バンダが使うために制限された座席を除いても、もっと多くのお客さんにこの素晴らしい音楽を聴いてほしかった。
 だが、この状況も開催のたびに良い方向へ塗り替えていかれることだろう。たゆまぬ努力と情熱が続く限り。

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