9 物理学と幾何学について

幾何学において、調和積分論は極めて重要である。コンパクト多様体のドラムコホモロジー群の有限次元性が、調和積分論から導かれることをご存じの読者も多いであろう。調和積分論を扱うテキストは多い。いずれも、ラプラス作用素の定義から始まり、理論展開されていくが、そもそもラプラス作用素がどうして幾何学の研究に結びつくのか、私の知る限り、テキストには明示的には書かれていない。ラプラス作用素の起源は、物理学の研究にある。したがって、ラプラス作用素が幾何学の研究に役立つということは、大まかには、物理学の研究は幾何学に結びつくと言えるであろう。物理学においては、ラプラス作用素だけではなく、シュレディンガー作用素やディラック作用素、あるいは前回紹介したツイスター作用素など、いろいろな作用素が物理現象を記述することが知られている。また、あまり意識しないが、リーマン幾何学にでてくる曲率テンソルなども、テンソル場からテンソル場への作用素と考えることができる。物理学は、究極は、時空の性質を追求する学問なのかもしれない。したがって、物理学の研究に出てくる作用素は幾何学の研究につながることが予想される。今回の記事では、物理学に出てくる作用素が、幾何学にどのように結びついていくのか、タイトルに比してかなり特殊な内容になるが、私見を述べてみよう。

 まず素朴に、ラプラス作用素とディラック作用素を次のように定義してみよう。

 定義9-1

$$
(1) \sum_i \frac{\partial^2 f}{\partial x_i^2} = 0,\\
(2) \sum_i e_i \cdot \frac{\partial \phi}{\partial x_i} = 0.
$$

 

$${f}$$はスカラー場であり、$${\phi}$$はスピノール場である。この表式からわかるように、ディラック作用素は二乗すると、ラプラス作用素になる。

これらの方程式の一般化としては、例えば$${f}$$、$${\phi}$$として、ベクトル束に値をもつ切断を考えることができる。微分は、共変微分などで置き換わる。ここでは、ディラック方程式の共形不変性を追求したいので、ディラック方程式を含む線形作用素を、ベクトル束からベクトル束への準同型写像として、代数的に特徴づけてみよう。

 そのために、ジェット束という概念を導入しよう。多様体$${X}$$上のベクトル束を$${E}$$と書く。$${E}$$の切断$${s}$$全体の$${x \in X}$$における$${k}$$-ジェットの空間とは、$${s}$$の$${x}$$での$${k}$$次までの微分の同値類により定まる空間である。$${E}$$はベクトル束なので、$${E}$$からジェット束が定まるのは見やすいであろう。$${E}$$により定まる$${k}$$-ジェット束を$${J_k(E)}$$と書く。したがって、$${k}$$次の微分作用素$${D:\Gamma (E) \rightarrow \Gamma(E)}$$により定まる微分方程式$${Ds = 0}$$の解空間は、ジェット束の部分束$${R \subset J_k(E)}$$として特徴づけられる。

 $${k}$$-ジェットは$${(k-1)}$$-ジェットを定めるので、次の完全系列が存在することは明らかであろう。

$$
0 \rightarrow S^kT^* \otimes E \rightarrow J_k(E) \rightarrow J_{k-1}(E) \rightarrow 0,
$$

 ここで$${S^kT^*}$$は余接束の対称積である。

 $${X}$$として、共形構造をもつ有向$${n}$$-次元多様体とする。共形構造とは、リーマン計量の同値類のことであり、同値関係は、$${g_1 \sim g_2 :\Leftrightarrow g_1 = e^f g_2}$$と定義される。共形構造の$${0}$$-ジェットの自己同型群として、$${CO(n) = \{aA: a \in \mathbb{R}^+, A \in SO(n)\}}$$を考えよう。

$${CO(n)}$$の表現空間$${\mathbb{E}}$$により定まるベクトル束を$${E}$$と書く。$${E}$$の切断のなす空間である$${1}$$-ジェット$${J_1(E)_x}$$は、共形構造の$${1}$$-ジェットにより定義される。

 $${X}$$における共形構造の$${1}$$-ジェットの自己同型群を考える。この群は、$${n}$$-球面$${S^n}$$の一点を固定、つまり無限遠点を固定した共形変換群$${CE(n)}$$であり、$${CE(n)}$$は$${CO(n)}$$と$${\mathbb{R}^n}$$の平行移動の半直積で書くことができる。

$${J_1(E)_x}$$は、共形構造の$${1}$$-ジェットにより定義され、$${CE(n)}$$が作用する。$${CE(n)}$$の作用により不変な部分空間$${R_x \subset J_1(E)_x}$$は、共形変換により共変な微分方程式を定義する。ディラック作用素やツイスター作用素を、このように代数的に定義することにより、共形共変な線形微分作用素となることが分かる。

 ディラック作用素は、標語的にはラプラス作用素の平方根である。先にも述べたように、ラプラス作用素が調和積分論として、幾何学の研究に大きな影響を与えたように、ディラック作用素も幾何学の中に大きな影響を与えているだろうということは、想像しやすいであろう。もっとも有名なのは、アティア・シンガーの指数定理だと思われる。定理の名を聞いた読者も多いと思われる。筆者は、アティア・シンガーの指数定理を調べたことはないので、簡単に解説することはできないのであるが、複素幾何学においては、アティア・シンガーの指数定理の特別な場合の、リーマンロッホの定理として、広く使われている。正則ベクトル束の正則切断のなす次元の有限次元性など、複素幾何学における基本的な事実がリーマンロッホの定理の結果として得られる。アティア・シンガーの指数定理自体は、一般の楕円型微分作用素において成り立つのであるが、ディラック作用素の場合のアティア・シンガーの指数定理がもっとも基本的な指数定理のようである。

 このように、ディラック作用素は幾何学の研究に大きな影響を与えたのであるが、一方でツイスター作用素に関してはどうだろうか。ツイスター作用素は、一種のディラック作用素と考えることもできるが、ツイスター空間論から推察するに、ディラック作用素よりも次元に関する制約が見た目に大きいと思われる。実際、ツイスター空間が研究のテーマとなるのは、主に複素3次元においてである。高次元のツイスター空間の研究もあるが、筆者には、高次元ツイスター空間論の研究は、どちらかというと数学におけるエクササイズに思える。意味のある一般化には思えない。

 物理学で対象となるのは、基本的には、4次元時空における現象である。時空の上における構造が物理現象だとするのなら、物理学で見いだされた作用素は、4次元時空上で考えるのが基本であろう。数学的には高次元時空を考えることができるのであるが、すなわち、ディラック作用素やツイスター作用素などは、高次元でも定義することは可能であるが、4次元のそのままのアナロジーで定義しても、筆者には意味あることには思えない。ただ高次元空間を考えることには意味がないとは筆者は思わない。空間というと、なんかそこに誰かが住んでいるというイメージがあるが、そういう物理空間として高次元を考えることには意味がなくて、何らかのパラメータ空間として、高次元空間というのは考える意義があるように思える。その一例を与えているのが、ツイスター空間であると筆者は考えている。そこで、前回、かなりあいまいにしか述べなかったツイスター空間の基礎について、もっと深く掘り下げて述べてみよう。

簡単に言えば、共形的半平坦な実4次元のコンパクト多様体に対して、そのツイスター空間の可積分性は、ツイスター作用素により特徴づけられるツイスタースピノールによりもたらされる。共形的半平坦とは、共形的平坦の条件を弱めた4次元特有の概念である。ホッジの$${*}$$作用素により、ワイル曲率が、固有分解されるが、そのどちらかが消えるとき、共形的半平坦と呼ばれる。前回は、共形的半平坦の多様体のことを、自己双対多様体と呼んだ。共形的平坦な多様体のリーマン計量は、ユークリッド計量に共形同値となるような計量のことである、4次元では、単連結性を仮定すると、共形的平坦な多様体は$${S^4}$$のみである。

 まずツイスター空間に概複素構造を定義してみよう。4次元の有向多様体$${X}$$を考える。リー群のレベルでは$${Spin(4) = SU(2) \times SU(2)}$$と書けるので、二つのランク2の複素部分束$${V_+}$$と$${V_-}$$を誘導する。それを$${V = V_+ \oplus V_-}$$と書くと、$${V}$$の自己準同型束は$${\Lambda^1}$$の複素化されたクリフォード束に同型となる。この同型の下、次の同型が成り立つ。

$$
\Lambda_c^1 \cong Hom(V_+,V_-) \cong Hom(V_-,V_+).
$$

 ここで、$${\Lambda_c^1}$$とは$${\Lambda^1}$$の複素化のことである。

ゼロでないスピノール$${\phi \in (V_+)_x}$$を固定する。そのとき、クリフォード積$${\alpha \mapsto \alpha.\phi}$$によって定義される同型$${\Lambda_x^1 \cong (V_-)_x}$$を与える。したがって、$${\Lambda_x^1}$$は複素ベクトル空間と同一視され、$${X}$$上の接ベクトル空間には、計量と向きをもつ複素構造が誘導される。明らかに$${\lambda \in \mathbb{C}^*}$$を$${\phi}$$に掛けても、同じ複素構造を定義するので、射影スピノール束$${P(V_+)_x}$$は、複素構造の集合をパラメトライズすると考えることができる。ここでツイスター作用素を次のように定義する。

定義(ツイスター作用素)

$$
\bar{D}: \Gamma(V_-) \xrightarrow{\nabla} \Gamma(V_- \otimes \Lambda^1) \xrightarrow{\sigma} \Gamma(V_+^{\perp}).
$$

 

ツイスター作用素により消えるスピノールをツイスタースピノールのという。$${V_-}$$の一次のジェット束$${J_1(V_-)}$$を考えてみよう。この時、ベクトル束$${V_-^*}$$上の準同型として、

$$
V:p^*J_1(V_-) \rightarrow T^*V_-^*,
$$

 を得る。ここで$${p:E^* \rightarrow X}$$。具体的には、Vは、ツイスタースピノールの双対$${s^{\vee}}$$を用いて、次のように定義される。

$$
V(p^*j_1(s)) = ds^{\vee}.
$$

 $${V_-^* \backslash 0}$$上のベクトル束$${V(\bar{D})}$$を、ファイバーとして、ツイスター方程式を満たす$${E}$$の局所切断$${s}$$に対して、$${( ds^{\vee})_{\epsilon_x} , \epsilon_x \in E_x^*}$$のなす集合となるように定義する。このように定められたベクトル束$${V(\bar{D})}$$は、ディラック方程式と同様にして、ツイスター方程式をジェット束からの準同型として定義した核$${R}$$を使うと、$${V(p^*R)}$$とみなせる。$${V(\bar{D})}$$は、前回述べたように、$${V_-^* \backslash 0}$$上に概複素構造を定めるのであるが、以上、述べたことと、ツイスター作用素の性質を使うことにより、$${V(\bar{D})}$$はフロベニウスの定理で言うところの、包合的となる。ニューランダー・ニーレンバーグの定理により、$${V_-^* \backslash 0}$$は複素多様体になる。ツイスター作用素は共形共変であり、このように定まった複素構造は、$${\lambda \in \mathbb{C}^*}$$の作用により不変なので、射影束として定まる$${P(V_-^*) = P(V_-)}$$には複素構造が入る。このようにして、ツイスター空間は複素3次元の複素多様体となるのである。

 ツイスタースピノールにより定義されるツイスター関数$${s^{\vee}}$$は、ツイスター空間上の正則ベクトル束の正則な断面を定める。これをペンローズ対応というそうである。ツイスター空間の概複素構造が可積分であることということは、ツイスター関数が正則関数であるということと同じなのである。ツイスター空間上に定まる複素構造における情報をもとに、4次元空間の場の理論を記述するという発想は、無質量自由場の記述において、大きく成功した。無質量自由場は、スケールというのが意味を持たないので、ツイスター的な記述が役に立ったのかもしれない。
ツイスター作用素により定まるツイスタースピノールは、ツイスター空間に複素構造を与えた。前回述べたように、ツイスター空間は、次の性質をもつ。

性質
(1) ツイスター空間$${Z}$$は、$${X}$$上の滑らかなファイバー束であり、ファイバーは$${\mathbb{P}^1}$$に同型である。またその法束は$${\mathcal{O}(1) \oplus \mathcal{O}(1)}$$と同型になる。
(2) 反正則な対合$${\sigma : Z \rightarrow Z}$$で、ツイスター空間$${Z}$$のファイバーを保ち、固定点を持たないものが存在する。これをツイスター空間の実構造という。

逆にこういった性質をもつ複素多様体は、$${X}$$上に反自己双対計量を定める。この事実を証明するには、小平スペンサーの変形理論が用いられ、ツイスター空間は、4次元空間を記述するためのパラメーター空間と考えることができると思われる。ツイスター空間が4次元のトポロジーにどういった影響を与えるのか、具体的に記述できるのか、詳しいことは今後勉強して、このブログで紹介するつもりである。

以上、述べたことはアティアやヒッチンの論文を参考にしているが、これらの論文は、上記で述べたことで尽きるどころか、もっと壮大に奥が深い。興味を持たれた読者はぜひ原論文をあたってもらいたい。筆者も引き続き、読み進めていこうと思う。

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