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霜降:第52候・霜始降(しもはじめてふる)

霜が降りる、霜が置く。

冠雪の便りも方々から聞かれるようになった。北国では霜も降りる頃だ。

東京ではまだ少し先。


育った信州の寒さもあって、小さい頃から大人になっても、霜焼けができた。

指先は全部、耳朶まで真っ赤になって、腫れて、温まると痒かったなあ。


空気中の水分が物に付着して氷の華を咲かせる。

その華が、葉っぱの中から新たな色を揉み出す。それが「もみぢ」。「もみつ」の名詞形。古くは「もみ ち」と、清音だっという。

霜や時雨が葉っぱに潜んでいた色を染め出すと考えられた。それは霜焼けや凍傷とは違うのだろうけれど、植物の身となってみれば、遠からず、、、かも知れない。花の世界では「照り葉」とも呼ばれる一瞬の輝きは、傷みのゆえかも知れず、彼らは惜しげもなく、大気にあれだけ差し伸べた葉を舞い散らす。飛花落葉、桜の散るのに似て。

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落葉広葉樹は皆、様々な色に染まってから、落葉する。それらの葉っぱは土に帰る。母の元へ帰って、新しい命の場所となる。落葉は自分の命を強くするだけでなく、居場所を与え、一つの調和する世界を作る。小さな世界は他の小さな調和した世界と連絡し、それぞれの環世界を輝かせつつ、奥深い豊かさと広大なネットワークを作る。世界のモデルがここにある。

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日本列島の紅葉が繊細でグラデーションに富んで美しいのは、氷河期に黒潮という暖流のおかげもあってこれらの樹々が生き延びることができたからとも言われている。種類の豊かさ、複雑な地形や、ミネラルや水の質も勿論土地によって多様だ。異なる陰影のグラデーションがうつくしい森を作ってきたし、僕たちの身体性も情緒も育んできた。そんな島で花をいけたり、庭を作ることができるのはしあわせ。




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