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白露;第44候・鶺鴒鳴(せきれいなく)

秋も深まり、蜻蛉も赤くなり、木々も薄紅葉が目に付くようになった。

鶺鴒も恋の季節。美しい声で囀るのが聞こえてくる。高速道路を走りながら、窓をあけた一瞬に飛び込んでクロスしたその声にハンドルを握りながら嬉しくなった。現場である軽井沢までの道中2回ほどそれは起きた。


それにしてもこの鳥がいなかったら、日本の国土は生まれていなかったかもしれないから事は重大だ。

『日本書紀』では、不思議なことに、国生みの神である伊弉諾尊と伊弉冉尊は出会っていざその段となると、国生みの方法を知らなかったという。神々は国を生むのに、人や獣と同じようにするかはわからないが、鶺鴒が尾で地面を叩く姿を見てにわかにそれを会得して、擬いたとのことだ。ちょっと俄かには信じがたいな。

9月頭から連句の会に座を占めて、遊ばせてもらっている。オンラインで一緒の座の人の顔は半分以上存じ上げませんが、それはそれで気楽でもあり、芭蕉らしい軽さでもあるのかも。

そんな座で「鶺鴒鳴く」時節に回ってきた付句として

 「素揚げイナダの輪廻転生」という短句を詠みました。前後がわからないと何のことやらかと思いますが、しかし旬の感覚というのはどんな時でも潜んでしまうものです。

素揚げイナダとは写真の通り。

 とあるカーニバル評論家と久々に新橋にある「新井商店」というペルー料理のお店で会食したときのものです。

 出世魚であるイナダの素揚げが美味しくて。 姿そのままグリンピースのソースに浮かんでこちらを向いてテーブルに置かれました。じっくり揚げてあるので皮から鰭から目玉まで、ほとんど全部いただけます。イナダはほぐされ、食べてる間じっとこちらを向いていました。それぞれのお腹に入って血肉となって他の命を生かしていくのだなあ、綺麗に全部いただかないとバチがあたる。


鶺鴒の鳴き声が車の中に飛び込んできたこと、そんなことに微笑んだ。

これもきっと僕の中で輪廻転生する。綺麗な食べ物に違いない。

このことは、いつか宇宙のどこかで誰かに届いて、誰かの中に生まれ、何かが変わる。ささやかな、ささやかな、片隅で起こっていることが泡立って世界を動かし、笑ったり泣いたりがずっと連なっていく。国生みとはこういうことなのかもしれないな。






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