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小満;第22候・蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)

生まれ育った地域はかつて養蚕がとても盛んな土地柄で、小学生の頃は隣もお向かいも裏の家も田畑と養蚕を営んでいた。

隠し部屋のようになっていて使うときだけ降ろす階段が、土間続きに設えられていて、それを不思議な感覚で登った記憶がある。登ると蚕室は囲炉裏や寝室のある一階の上ほぼ全てという広さで、そんな板張りのガランとした「お蚕さん」の蚕室に何度か入れてもらったことがあるけど、何百匹といる蚕が草を食む音には最初驚いたものだ。木で組まれた棚に竹で編んだ畳一枚ほどの目の荒い籠に桑の葉が並べられ、一心に桑の葉を食べるお蚕さん。ずっと聞いているとなんだか厳かな気持ちにもなってくる。人はその下で暮らしている。お蚕さんの営みを聴きながら団らんしたり、眠ったりと日々を送っていたのだろう。大事な場所だからそうそう上がらせてもらえるものではなかったと思う。

でも小学校の高学年くらいになった時は、周りに蚕を飼っている人はほとんどいなくなっていた。何年か経ってもう使われなくなった蚕室に上がった時は埃っぽいだけのガランとした空間が広がっていた。

中学生になって少し遠くの中学校まで自転車通学となったが、桑畑は結構残っていた。通学や部活途中でよく桑の実を食べた。舌は紫になり、ワイシャツをたまに染めた。

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「桑」という文字はたくさんの手がその葉を摘む形だとされる。養蚕が、古くから大切な生業、そして産業として奨励されたのは言うまでもない。祈りの気持ちは七夕の行事などにも受け継がれている。そういえばこの小満の三つの候は全て農作物に関わるものだ。

蚕の繭から作られる絹は草木染めでよく染まり、発色が鮮やかで綺羅綺羅しい。しかも肌触りがこの上なく良く、美容にも良いとなれば西方の貴族たちが競ってこれを求め壮大な交易路「シルクロード」が生まれ、栄えたのも理解できる。


中国の生命の樹である「扶桑樹」も桑という字が当てられている。「扶」は「扶助」とか「扶持」とか、助け合うという意味の文字なので、おそらく連理の木。雌雄がもたれ合い、助け合うような様子のこうした木は現在でも神社などで祀られていることが多い。桑は生育力旺盛で枝が暴れ、絡まるように見える木でもあるから、中国の建国神話に見られる下半身が蛇体で睦みあっているように見える女媧と伏犧にもなぞらえられる。桑の実は沢山なるので多産の象徴でもある。また桑の仲間はもともと樹皮を叩き伸ばして衣服などを作っていたし、紙となるコウゾや梶も桑科だ。釈迦が悟りを開いた印度菩提樹も桑の仲間。

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生命の樹・花宇宙」-杉浦康平著 より

「扶桑の樹」は、中国の古代神話に登場する「宇宙樹」です。漢代の記述(前漢、東方朔の『十洲記』)によると、
「・・・・・東海の青い海に浮かぶ扶桑という島に茂る、桑に似た巨大な神木。その幹は、二千人ほどの人びとが手をつないで囲むような太さをもつ。樹相がとても変わっていて、根が一つ、幹が二本、この二本の幹はたがいに依存しあい、絡みあって生長する・・・・・」
と説かれています。さらに
「・・・・・九千年に一度、小さな果実をつける。この果実を食べた仙人は、金色の光を放ち、空を飛ぶことができる・・・・・」
とも記されています。
扶桑の樹は「若木」とも「博桑」とも呼ばれていた。桑の木に似て、生命を産みだす霊力を秘める、不思議な樹木だと信じられていました。


 蚕が作る繭から羽を持つ蛾が生まれるという化生物語。結婚式に花嫁がつけるヴェールや、白無垢の角かくし、いずれも繭のもどきと言えそうだ。胞衣でもある。 神の衣を織る水の女。七夕伝説、羽衣伝説、天若彦の物語など、天と地、神と人の交流と禁忌の物語も生み出していく。

 








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