ことのはいけばな’22 立夏 21候『竹笋生(ちくかんしょうず)』
花を活けるように、言葉を三十一文字他の器にのせて活ける。はなとことばを立てて相互記譜。七十二候のことのはとはなの旅。
そもそも「旬」という文字は「筍(竹の子)」の10日ほどの旬を言うらしい。また「旬」は『字統』によると雲から龍の尾が垂れている形とされる。瑞兆というものがそれほど尊く稀で、しかも瞬く間だということか。そのタイミングを見つけ、そして掴めるのかどうか、とてつもなく大事なことだったのだろう。
毎週毎週花を活けていると、このタイミングを逃したくない花材に出会う。毎年毎年その感覚は変わっていくし、彼らの存在の強度と美しさに目は開かれていく。今「この世」に存在するもの同士だからこそ出会う。そして一生に一回しか出会えない。花を見て好きだと思って「こくん」と頷き合う感じが連鎖して活けこみの花材が決まっていく。一種で活けることは少ないから、そうやって「合わせ」をしていく。出会って好きになる植物は年々増え、減ることはなさそうだ。好きは尽きない。時々で一緒になれる「相棒」のようなものか。彼らに選んでもらっているのかもしれない。通り道となった空洞な身体は、彼らをくぐらせる。綯い交ぜに斑らとなった存在が空間に生まれ、お互いに産まれ直していく。花を活けるとは、実は旬の存在の融け合い、そのことでこちらは生で治療を受けているようなものかもしれない。
卯木
*緑金の逆巻く渦に底紅の発火空木の白さ響もす
*吾もまたそこへ行きたし卯の花の息せき切って白ほとばしる
*ひさかたの光うれしきふふみたる卯の花崎の白玉まろき
満天星躑躅
*満天のそよぐ灯よひそやかに鏡の羽はみどりのひさし
*本櫨も夏櫨もはや綴れ咲き過ぎ去る景色うつつにとどめ
*本櫨のみどりいろした花粒のテーブルの茶にはねる真夜中
*あらわれて時のまにまにひるがえりひらりひらひら左様ならして
*笹百合のゆらめき立ちて水かがみ姿うつして微笑みののち
*撫し子や百合の姐さん戯れにそよと揺れては塵ぬるを