株式会社杉野ゴム化学工業所杉野行雄

東大阪は宇宙へロケットを飛ばし、東京は深海に無人探査機を送り込む、どちらも実現しないと言われ続け、最後は職人の意地で実現させる、なんとも素晴らしいドラマです。そのドラマを作り上げた張本人こそ、杉野ゴム化学工業所の社長である杉野行雄さんです。

日本の海底探査機は海外の部品ばかり

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東大阪の町工場の人たちがロケットを打ち上げたことで、海底探査機プロジェクトに現実味が出てきました。誰しもが海底探査機のノウハウがなく、大学や金融機関、地元の町工場を巻き込み、プロジェクトは始動します。当時日本の海底探査機に日本の部品はあまり使われておらず、町工場の技術で国産化を目指せないものかと考えます。しかし、海底探査機に数億円の費用がかかるとわかると、それまで手を挙げていた人々はどんどん消え、杉野行雄さんとあと1つの会社のみに。

シンプルイズベスト

あれもしたい、これもしたいという思いが膨大な費用につながると知った杉野行雄さんは、とにかく潜れればいい、そこまで深いところにはいかないと方針転換。費用面での心配がなくなり、この状況を打開しようと大学や企業なども加わってプロジェクトは急速に発展します。自分たちのやりたいようにするためにスポンサーはつけず、寄付金や助成金で工面するなど着々と準備を進め、無人海底探査機を投下し、無事に成功します。次は1万メートル、杉野行雄さんの挑戦はまだまだ続いています。

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