自分はどう見られたいか
昨日、演劇の練習に初めて参加した。
ワークショップは2度目の参加になる。
最初のウォーミングアップでは身体の動かし方、使い方などを学ぶ。
立ち方や動きの癖がちょっと出るだけで、それはキャラクターになってしまうということを改めて認識し、ニュートラルでいることの難しさを痛感する。
役作りというのは、自分のキャラクターは一旦横に置いて、別のキャラクターを演じるということ。
なるほど。
そして、昨日は台本を使って演じる練習をする日だった。
私は、演劇に関しては、全くの素人。
仕事上、人前で話すことはあるけれど、それはあくまで自分として。
参加者をグループ分けして、それぞれに誰がどの役をやるかを決めて、練習に入る。
それぞれのグループ毎に解釈や演出が異なるので、見ていても面白い。
そして、早速それぞれのグループが他のメンバーが見ている前で演じるのだが…
いままで舞台は、ストレートもミュージカルも、いろいろと観てきた方だと思う。
でも、観ているのと、やってみるのは、全然違う。
まずは声の出し方。
そして、動き。
私たちが舞台で観ているものは、当たり前だけれど、完成された作品。
だからこそ、指先の動きまでが計算されていて、観るものを世界へ引き込む。
視線ひとつもそうだ。
誰が誰を見ているか、どんな表情なのか。
声を発していなくても、観ている側には分かる。
しかし、自分はというと、
自分では演じているつもりでも、観ている相手には伝わらない。
どうしたら相手に伝わるのか、自分が演じている姿を客観的に見て、探求したいと切実に思った。
そこで、気がついた。
特に人前で話をする講師や経営者にも通じるところがあると。
この場合は、相手にどう見られたいかをどこまで意識して、それを全うしているか、ということになるが。
もっと言うと、全ての人が知っていていいことだとも思う。
演じることで一番大切なことは『聴く』ことだと言う。
これは、コミュニケーションでも同じで、相手の話を聴くことができなければ、キャッチボールは成立しない。
来週の社会人向け演劇活用法レッスンも楽しみです!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?