【第464回】『坊やの人形』(ホウ・シャオシェン/1983)

 うだるような暑さの竹崎の繁華街を、厚着の男が意識朦朧としながら街頭に立つ。頭には三角帽を被り、赤い鼻をゴム紐で耳に引っ掛け、手にはでんでん太鼓を握り、首から映画の看板を背負う男の職業は、楽宮映画館のサンドウィッチマン。貧困に喘ぎながら、美人の奥さんと生まれたばかりの息子を抱える男は、職にあぶれ食うに困る中、不振にあえぐ片田舎の映画館の再建のために、1ヶ月350元の仕事をセールスし、請け負う。日本の雑誌で見たというサンドウィッチマンの仕事。夫婦はボロボロになった布団を縫い直し、お手製の衣装を作る。朱色と紺色に縫い合わされた半纏のような衣装。猛烈な暑さの中、これを着て歩く男の姿は、現代風に言えばゆるキャラの中の人にも似ている。いつも不機嫌な顔をしながら、そろばんを弾く劇場支配人。教会で配られる米の配給、戦争の影響はいかんともしがたく、この街の生活水準はあまり高くない。『川の流れに草は青々』での下宿先の映画館、今作に続く『風櫃の少年』での成人映画館など、初期のホウ・シャオシェンは物語設定に好んで映画館を用いる。

息子が生まれ、あまりにも幸福な家族3人だが、夫婦の表情はなぜか冴えない。机の上に偶然見つけた妻(ヤン・イーリン)の避妊薬。コンドームさえ買う余裕のない夫婦生活。妻は子供をおんぶ紐で背中に背負いながら、夫と自分の食事の準備をしている。テレビもラジオも手にすることのない生活、ここ数日夫婦の間に会話はほとんどない。汽車の音が村中にこだますると、夫は急いで駅に向かって走りだす。黒い汽車がもくもくと煙を吐きながら竹崎駅に到着し、往来の乗り降りに多数の乗客が頻繁に姿を現すが、彼の成果は芳しくない。自暴自棄でトイレに入った瞬間、子供達に悪戯される主人公の滑稽な姿。やかんにお茶を用意するのも窮するような映画館の不入りは、やがて主人公の生活にも影響を及ぼすが、今作の主人公であるコンチ(チェン・ボージョン)はあくまで楽観的に大らかに事の推移を見守っている。そのことが妻をただひたすらに苛立たせる。左翼的な極貧物語はいつも決まってバッド・エンドで終わるが、ホウ・シャオシェンはそのような説教臭さに塗れた定型をあえて避ける。劇場支配人が提案した三輪車での売り子への転身は、3人家族に細やかな幸福を齎すのだが、ピエロの化粧を落とし、ノー・メイクで出勤する父親の姿を見た子供はいったい誰なのか認識出来ない。父親の真の姿を知らない息子の涙に、夫は咄嗟にある行動を取る。ホウ・シャオシェンらしい出来過ぎたハッピー・エンドだが、最後のストップ・モーションからのズーム・アップは真っ先にフランソワ・トリュフォーの『大人は判ってくれない』を連想する。

当時の台湾映画界は隣国の映画産業である香港映画や中国映画に押され、長引く不振に喘いでいた。時の台湾国民党の映画制作会社・中央電影公司は新人企画部員・小野(シャオイエ)に対し、若手監督の育成を国家規模で命じたのである。小野は手始めに4人の映画監督によるオムニバス『光陰的故事』を完成させ、その翌年に人気作家・黄春明(ホアン・チュンミン)の小説を3人の監督に任せ、自国の映画産業に静かに革命を起こす。日本同様に、台湾がまだ自立国家として高度経済成長を迎える以前の、庶民の暮らしを描いたこれら7つの短編は、60年代の日本映画との親和性も考えられるものの、実は一番肌触りが近いのはロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカらによる「イタリアン・ネオリズモ」だろう。戦後復興の息吹を、最下層から照らし出したこれらのシリアスな物語の数々は、結果的に戦後世代から前世代への総括となる。大陸中国の言語・北京語に対し、台湾古来の言語である台湾語が積極的に用いられた今作は、香港や大陸中国に対する、母国文化の逆襲を内外に知らしめることとなった。この7つの短編を担当した監督の中に、『坊やの人形』のホウ・シャオシェンと『指望』のエドワード・ヤンがいた。シャオシェンとヤン、この2人の天才監督が、世界の映画祭を制し、映画シーンを席巻することになるにはこの僅か数年後のことである。

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