【第383回】『遊星からの物体X』(ジョン・カーペンター/1982)

 深い雪に覆われた南極の土地で、一台のヘリが黒と白に縁取られたシベリアンハスキーを豪快にショットガンで撃ちまくっている。だがその銃弾はどういうわけか対象に一向に命中する気配がない。その様子を地上と空中からの何度かのリバース・ショットで据えた後、犬は駐留地へと足を踏み入れる。この純朴な犬の到着が後に起こる惨劇のきっかけになるとはこの時は誰一人として思っていないだろう。精神の錯乱した男は国籍の違う領地に足を踏み入れた犬を追って、何の挨拶もなしに米軍のテリトリーに土足で踏み込んでくる。その様子を見ていた隊長はこの男を躊躇なく撃ち殺す。かくしてヘリコプターは丸焼けとなり、撃たれたノルウェー国籍の男性は即死し、聴取することさえ出来ない。犬は隊員の顔を嬉しそうに舐め回すが、それはハッピーエンドではなく、惨劇の序章に過ぎない。

言うまでもなく今作は1951年のSF映画の傑作『遊星よりの物体X』のリメイクである。『脱出』『三つ数えろ』で編集を務めていたハワード・ホークスの愛弟子であるクリスティアン・ナイビイのデビュー作に数えられているものの、実際にはほとんどの場面をホークスが手がけていたらしい。随所に豪快さを感じる群衆場面の卓越した演出力、大尉と女性研究員の秘密めいた恋の行方などメロドラマの要素もふんだんに盛り込まれたホークスらしいSF大作は、あまりにも早すぎた異星人到着モノとして異彩を放つ。今作の監督であるカーペンターは幼い頃に『遊星よりの物体X』を観て、子供心に強い影響を受けたホークス信者であり、念願だった今作のリメイクに至った。しかしながら冒頭のヘリからの犬の射撃の一連の描写をオリジナルには観ることが出来ない。ホークス版『遊星よりの物体X』では、地球に降り立った異星人がクレーターの底に不時着したまま凍りついている。宇宙船を取り出すために氷に爆破装置を仕掛けた大尉の判断ミスにより、肝心の宇宙船は木っ端微塵に吹き飛んでしまう。代わりに氷の中にいる生存者の化石のような冷凍状態を空間ごと切り取り、基地へと持ち帰るが、今作は異星人の襲来はそんな生易しい要素では済まされない。

死んだノルウェー隊員の異様な行動の理由は本当にPTSDなのか?真相を究明すべくノルウェー基地へ向かったヘリ操縦士のマクレディらが見つけたものは、自殺し凍りついた隊員の死体、何かを取り出したと思しき氷塊、そして異様に変形し固まったおぞましい焼死体だった。この場面は90年代のサイコ・スリラー・ブームを10年早く予見していたのは間違いない。カーペンターお得意の四角四面のイメージ、干からびた焼死体が只事ではない何かを予感させるが、すぐに本質が姿を現わす。いま思えばこの場面が当時大ヒットを飛ばした『エイリアン』シリーズの強い影響下にあったのは言うまでもない。犬が姿を変えた化け物の描写はエイリアンそのものであり、その後の人間に憑依する様子はクローネンバーグの『スキャナーズ』の方法論をそのまま踏襲している。そこからホークス版『遊星よりの物体X』でも『ジョーズ』でも『ジュラシック・パーク』シリーズでもお馴染みとなった科学者と隊長の対立による人命なのかそれとも科学の進歩なのかの不毛な議論が始まるが、その時点では残念ながら敵の目測を誤ってしまっている。

中盤からクライマックスまでは、人間に憑依するモンスターの実体よりもむしろ、誰が人間ではなくなったのかに怯え、疑心暗鬼にかられる隊員たちの我を忘れた姿が描かれる。一介のヘリ操縦士に過ぎなかったR・J・マクレディがギャリーよりもチームの主導権を握り、恐怖の中で能動的に動く様子は随分危なっかしいがエールを送りたくなる。だが人間と人間に憑依したモンスターを見破る方法は、数時間単位での血液採取しかない。そんな前時代的な手法で1人1人の血液を確かめる場面が、今作の最高沸点としか言えないようなカタルシスを見せる後半のパッチ・テストの場面のサスペンス性は、見事というより他ない。そして全員を信じられず、疑心暗鬼に駆られた集団のじりじりした心理劇の一部始終は、タランティーノの最新作『ハートフル・エイト』にインスピレーションを与え、繰り返し構築された図式に他ならない。オマケに発火点となる登場人物カート・ラッセルさえ一緒である。マクレディは独善的な方法で彼ら1人1人をテストするが、そこで逃げ切れなくなったモンスターが窮屈に炙り出されることになる。ラスト・シーンは多分にバッド・エンドを想起させるが、この白人と黒人の緩やかで絶望的な共感が、一寸先は闇だった『ゼイリブ』につながるのだと思うと実に感慨深い。

ホークス版にあった男女のロマンスなどカーペンターはメロドラマ的な要素を一切排除し、男だけのむさ苦しい集団を、見えない怪物により狂気の連鎖へと引きずり込まれ、自滅していく集団へと変質させているのは見事というより他ない。北極が原作に忠実な南極の設定に戻されたこと。またホークス版『遊星よりの物体X』にあったような本部との無線でのやりとり、記者や仲間たちの友情の場面を極力排し、集団の絆をあえて見せない抑制した演出も冴え渡っている。CG技術に慣れきってしまった今日の我々が観ても、巨大なクモのような形状に変化した未知の生物が地べたを歩き回る様子はシンプルに怖い。職人肌なロブ・ボッティンの特殊技術とカーペンターの引き算の美学には新鮮な驚きを感じる。いまの耳で聴くと完全にインダストリアル・ミュージックにしか聴こえないスカスカのリズム・セクションや幾つかのシンセサイザーによる不協和音。空間の仕切り、ロッカー、犬小屋の鉄格子などを長方形に切り分けた四角四面のフレームワークは、記号のような氷解やブルドーザーを正面から据えたショット、部屋の明かりがついたクライマックスの建屋に至るまで徹底している傑作中の傑作である。昨日紹介した『殺しが静かにやって来る』も今作も、タランティーノの新作である『ハートフル・エイト』も全て凍てつくような寒さの雪山を舞台にし、エンニオ・モリコーネが音楽を手掛けているのは何かの偶然だろうか?偶然に見せかけた必然だろうか?

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