【第359回】『俳優 亀岡拓次』(横浜聡子/2015)

 冒頭、刑事に追われる1人の男がある神社へと逃げ込む。この男が主人公に違いないとヤマを張りながら観ていると、カットの声と共に「撃たれたらすぐ死ねよ」の声が監督らしき人物からかかる。その声の主は『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』や『さよなら渓谷』の大森立嗣監督だろうか?大森監督なら絶対に撮らないような刑事ドラマの一コマだが 笑、監督に楯突く主演若手俳優の傲慢な態度に対し、大森監督はホームレス役の亀岡拓次という役者に見本を見せろと請うのである。ここで唐突に主人公の亀岡拓次は飄々と画面に姿を現わす。今作は誤解を恐れずに言えば、この導入部分に象徴されるような、ミスリードの連続する実に不思議な映画である。現在のシークエンスの中に突如回想のシークエンスが登場したり、現実に演じた役が夢の中で役柄を変えてフラッシュ・バックしたりする。

現代の日本映画における男性像というのは、極論を言えば『黒崎くんの言いなりになんてならない』の黒崎のようなオレ様系か、今作の亀岡拓次のような飄々とした草食男子のおっさんに分類されるかもしれない。脇役ばかりの俳優人生を送る37歳独身の亀岡拓次は、どんな役でも断らず、呼ばれればいつどこへでも駆けつける。ゆえに一部の監督やスタッフからは熱狂的に愛されるものの、彼自身は俳優として一度もスポットライトを浴びたことはない。趣味はお酒で、彼女のいない彼はひたすら撮影現場と酒場を行き来する日々を送っている。そんな愛すべきキャラクターをリリー・フランキーやピエール瀧や荒川良々が演じるのかと思いきや、2.5枚目俳優の安田顕が演じている。杉田かおるのスナックに入り浸り、スナックの男性客からはデュエットをせがまれ、お酒以外の趣味もほとんどない。もっと言うと俳優としての欲望もあまりなく、この映画にかけるというような気骨も見えてこない。それでも映画俳優には何かしらのこだわりがあるのかと思いきや、呼ばれれば舞台の仕事にもいそいそと出て行ってしまう。要はこの亀岡拓次という男は、タンポポの綿毛のように空をプカプカ浮いているような漂流する人生を送っているのである。

今作を特異たらしめているのは、この亀岡拓次の人生は映画になるほどのドラマチックなものではないということだろうか。ハリウッド映画では、無謀とも言える大それた夢に魅せられた主人公が、様々な苦難を乗り越えてやがて思いを達成するというような、映画になるべくして練られた脚本や物語構造がある。だが今作では様々な現場を渡り歩くバイプレイヤーの現場での働きぶりを淡々と描写するだけで、亀岡拓次の大いなる野望やあっと驚くような活劇性やサスペンスフルな展開は一瞬たりとも出て来ない。見せ場や盛り上がりも特になく、一貫して低体温のまま、それぞれのシークエンスが列車の移動という活劇性のあるショットの挿入でリズミカルに紡がれていく。それでも誰かの日常を覗き見ることは普通に楽しい。それも亀岡拓次の私生活と俳優としての活動がユーモラスだから尚更楽しい。それぞれの現場には当然監督がいるが、この監督たちのモチーフが誰であるのかをいちいち想像しながら観るとまた一層楽しめる。新井浩文の山之上監督も、染谷将太の横田監督も、人生で一度でも自主制作映画の現場を経験したことがある人ならば、こんな人いるいると思わされる愛らしさである。その中でも特に印象に残るのは山崎努扮する古藤監督であろう。どことなく伊丹十三を彷彿とさせるような時代劇の巨匠・古藤監督の飄々とした佇まいの前では、さすがの亀岡拓次も緊張した面持ちで撮影を迎えることになる。

一転して演劇の現場における憧れの松村夏子(三田佳子)とのやりとりは、まるでカサヴェテス『オープニング・ナイト』のようなユーモアを感じた。憧れの人と同じ現場同じ空気を吸っているにも関わらず、亀岡拓次はいつもの亀岡拓次のままである。その姿勢を厳しく見つめる松村のスパルタ指導があり、やがて温和になり、「あなたの芝居は舞台ではなく、映画のものよ」なんて、さらっと鋭い感想を伝えるあたりのディテイルの膨らまし方は流石の一言に尽きる。まるで近年のホン・サンス映画のように日常生活で出会う全ての異性が、主人公にとっての運命の人になってもおかしくない。そのくらい当たり前で何の変哲もない生活を送る亀岡拓次の人生が、ある日を境に、心境が変化する瞬間こそを我々観客は強く求めてしまう。決して見下しているわけではないが、少しの優越感に浸る後輩俳優とのやりとりの中で、ふと37歳独身の現実を突きつけられる地下道の缶蹴りの場面など、横浜監督ならではの観察眼・描写力が光る。

それゆえに田舎の居酒屋の娘・室田安曇(麻生久美子)とのロマンスには、まるでフーテンの寅さんを見守るタコ社長のようなエールをスクリーンに向かい送ってしまう。彼は約束の花束を持って彼女に再び会いに来るが、そこで1度目の来訪時に聞くべきだった事実を聞いてしまう場面には、亀岡拓次に感情移入し切なくなる。あの左手でのサインは北野武の映画のような小ネタで笑わせるも、笑った後に今度はホロっとさせる。この泣き笑いというのが実は一番難しい演出なのである。それをいとも簡単にやってのける横浜監督の描写力にはただただ感心した。物語をトータルで見れば、最初から最後まで持続する思いや野望・夢には欠ける。近年の日本映画には頻繁に感じることが多くなった「空洞」の映画である。確かに真ん中に来るべき確固たる思いは希薄ながら、周りの縁取りは切れ目がない。それは編集の巧さもさることながら、横浜監督が気張って映画を撮っていないことに尽きる。思わず語りたくなるような実に不思議な映画である。

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