これは、「noteは公開まで進めなくてもどんどん下書きにためていくのをおすすめします。」という話。 ※これ言語化したい、あれ書きたいと思いながら、気づけば3年もnoteを投稿していなかった私が書いています。笑 ・・・・・・・・・・・ 何気なく過去の投稿をみたり下書きを漁ったりしていると、新卒時代の自分から「社会人◯年目の私へ」という下書きが残っていて。 それが自分からの手紙のようで、ギリギリ社会人4年目の私はとてつもなく感動したのです。 …私は3年目で休職しちゃった
カメラ目線でピースしている姿よりも、無防備に眠っている姿を残したい。 タイマーでポーズを取った姿よりも、口を大きく開けて笑っている姿をずっと見ていたい。 ワックスでセットした髪型よりも、寝起きでボサボサな寝癖を愛おしいとおもう。 すきなひとの素に、これからもたくさん出会いたい。
食を誰かと共にすることは、とても幸せだ。 友人と「先週も食べたよね、太るね」と肩をすくめながら食べるおやつの時間も、 恋人とお気に入りのお店で「これどうやって作るんかな?」と味わう時間も、 久しぶりに集まった家族と「ちょっと、食べすぎ〜」と笑い合う時間も、ぜんぶ愛おしくて大切なひとときだ。 思い返している今もどんどん思い出が溢れてきて、それらを書いていると何の話か分からなくなりそうなのでやめておこう。 今日は、10日前のごはんの話をしたいから。 ◇ コロッケを自分で
苦しくて苦しくて、ひとりでもがいている。 狭い金魚鉢の中で、わたしはどこにも行けないでいる。 そんな夜を幾度となく過ごしたのは、きっとわたしだけじゃない。 ◇ 一生では知り尽くせないほど広く、こわいほど狭い世界 同じ水槽のなか、同じ鱗、同じ色 「わたし」でなくてもいいんじゃないかと 見分けのつかない輝きに目眩さえ覚える ◇ いつもわたしをすくい上げてくれるあなた わたしは数えきれないほど溺れている 見つけてくれて、ありがとう。
自分のことが好きですか。 この単純な問いに対して、複雑な気持ちになる人は少なくないはずだ。 きらきらした「光」の部分だけでなく、親しい人でさえ知り得ない「影」の部分を知っているのは自分だから。 わたしなんて、まっくろくろすけだ。 こういう書き方だと多少可愛らしくもなるが、本当にまっくろだと思う。 周りの人に対して、嫉妬とか劣等感とか、ひと通りの黒い感情は抱いたと思うし、意地の悪い考えとか邪推が浮かんでしまうこともある。 けれど、そういう自分から目を背けても、