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連載 ひのたにの森から~救護の日々 ⑤

 御代田太一(社会福祉法人グロー)

聞き書きをしよう!

救護施設には、過去の生い立ちについての情報がほとんどない状態で入所する人が少なくない。

現場の職員は、入所経緯やおおまかな生い立ちは知っていても、頻繁な入退所や介護業務に追われて、一人一人の利用者がどこで生まれ、どんな人生を生きてきたのかまで知る余裕がなかった。「入居者たちの生い立ちを知りたい」そんな動機で就職した自分には、少しもどかしい日々だった。

そんな時出会ったのが、六車由美さんの『驚きの介護民俗学』

大学を辞めた元民俗学者の六車さんが、偶然就職した介護施設で、入居する高齢者たちの生い立ちを聞き書きし、そこから見える地域の歴史や入居者の生きてきた風景をまとめた本だ。これだ!と思った。

「驚きの救護民俗学だ!」と心の中で意気込んで、利用者への聞き書きのタイミングを狙っていた。

介護民族学

「驚きの介護民俗学」。後日、六車さんの運営するデイサービスにもお邪魔した。



「Hey! Say! JUMPのマネージャーやっててん」

梶原さん(仮名)は8月の終わり、滋賀県が一番暑いときに入所した。脳梗塞を患い、半年の入院とリハビリを経て、退院先として救護施設が選ばれた。担当支援員に僕が選ばれた。

救護施設では、「こんな方がいるんですが、入所できますか?」という市町の福祉事務所(生活保護の窓口)からの電話で入所手続きが始まる。

その電話口で、入所理由、身体状況(介護や見守り、その他どんなケアが必要か)、経済状況などを聞き取り、入所となれば、そのメモが施設全体に共有される。梶原さんのメモにはこう書かれていた。

「平成〇年〇月に会社の寮で脳梗塞を発症し入院。症状安定し退院可能だが、戻る家なし。歩行器使用により自力歩行は可能。両親は、鹿児島にいるが関係が悪い。病気になるまで、全国の派遣寮を転々としていた。所持金〇〇円。」

仕事を始めて半年、仕事のリズムもつかめてきたのもあり、入所時点から担当のケースを持てることに心躍った。

「この人には自分で生い立ちを聞き取ってみよう」と密かに思っていたある日の宿直勤務。20時から各部屋を回って眠前薬を配っている途中、梶原さんの部屋で軽く雑談をしていると、生い立ちの話題になった。

―実はおれ、東京藝大出てんねん。カメラマンもやったよ。ジャニーズ事務所にも雇われて。Hey! Say! JUMPってあるやろ、あれのマネージャーとかもやって。

―でも脳梗塞プッチンとやっちゃってから、滋賀に移り住んで派遣はじめたんやて。でもすぐまた脳梗塞やっちゃって入院。体がなおればカメラマンもう一回やりたいんやけどね。

……驚きの内容だった。まさか藝大出身の、ジャニーズ専属の元プロカメラマンが、救護施設に入所しているとは。

「ほんとですか?笑」と平静を保ちながらも、「やっぱり現場は奥が深い!やっとこういう人に会えた!」と内心は興奮していた。

だが、まだ多くの利用者を待たせていたのもあって、「ちょっと今は薬配んなきゃいけなくて。またゆっくり聞かせてください!お願いしますね!」とその場を後にした。

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配薬のトレイ(イメージ)。自分で薬を管理している人もいる。


金の鉱脈を掘り当てた!

この大発見を報告せねばと思い、日誌にも記録した。朝9時の業務終了と同時に、出勤してきた園長や先輩職員に慌てて報告したが、「そうか~、面白いなあ」と軽い反応だった。

リアクションの薄さに違和感を覚えながらも、後日、時間を取って梶原さんに話を聞いた。

―中学時代は野球部で全国大会優勝して、甲子園にも出てんねん。中日からドラフト指名を受けたんやけどね。肩を壊し断念したんよ

―東京藝術大学に入学したんやけど、親に仕送りを止められて退学して。そんでカメラマンになってん

―Hey! Say! JUMPの専属カメラマンで、ジャケット写真を撮ったり、コンサートツアーに同行したりね

―山田涼介君以外は、ジャニーズはみんなダメ。お金はいいけど、忙しかったなあ

―KATTUNとは性格が合わなくてやめたんよ。SMAPと組めとも言われたが、解散しちゃったから、その話もぽしゃって

―そのあとは自分で会社を経営して、取締役なんかも務めてたんやけどね

更にいくつもの華々しいエピソードが飛び出し、またも度肝を抜かれた。録音して、一字一句書き起こした。

タイピングは遅い方ではないが、録音を聞き直しながら一字一句書き起こすのは、根気がいる作業だ。聞き取った時間の3~4倍はかかる。

ただ、1つ1つのエピソードを聞き直す度に、「これだけ華やかな仕事をしていても、生活保護に行きつくことがあるんだ!社会や人間は奥が深い!」と金の鉱脈を掘り当てたような気がして、キーボードを叩く手も軽かった。


衝撃の結末

梶山さんのジェットコースターのような人生遍歴だが、当時の心情や細かな人間模様まで語ってくれるから面白い。

しかし、何度聞いても数々のエピソードの時系列を整理できなかった。それに、梶原さんの名前を検索しても何も出てこない。また「これだけの仕事をしてきたのに、なぜ頼る人が一人もいないのだろう?」という疑問が頭をもたげてきた頃、勤務終わりにふと病院からの引継書を読んでみると、ある一文が目に留まった。

「作話の症状あり、自身の過去を誇大に語る傾向あり。」

作話?これはなんだろう。嫌な予感がして、手元のスマホですぐに調べた。

作話(さくわ):記憶障害の一種。過去の出来事・事情・現在の状況についての誤った記憶に基づく発言や行動が認められる点が特徴的である。作話は、「正直な嘘」と呼ぶべきものであり、通常は本人は騙すつもりは全く無い。内容も筋が立ち、内部的には一貫性があり、比較的まともである場合が多い。多くの証拠は作話の内容が真実でないことを証明するのだが、作話をする人は、自分の記憶には自信を持っていることが多い。

……一瞬頭が真っ白になった。だがすぐに気がついた。梶原さんのエピソードの数々は作り話だったのか。

作話

「作話」


拍子抜けしてしまった。事前に病院からの書類を読み込んでいなかった自分も悪いが、まさかの結末に「1本取られた」という感じだった。

脳梗塞の症状には、こんなものもあるのか。先輩職員の多くも、作話だと勘づいていたのかもしれない。

そんな梶原さんは、「感情失禁」という症状もあった。些細な冗談で爆笑し、ちょっとしたエピソードに涙してしまうような、不思議な症状だ。本人は苦しそうなときもあったが、チャーミングな部分でもあった。生い立ちについても、作り話とはいえ、内容自体はユニークで面白いので、細かくは問い詰めず、ことあるごとに話を聞いた。

後から分かったのは、作話の中には事実もたくさん含まれていることだ。荷物を整理していたら、ハンドバックの底から「株式会社〇〇取締役」という大きな印鑑が出てきて、会社の取締役を務めていたのは事実だと分かった。社名もあっている。

そして同じハンドバックからは、日雇い派遣をしていた頃の小さな手帳も出てきた。許可をもらって中を読ませてもらうと、「〇月〇日 株式会社〇〇警備 8800円」「□月□日 □□産業 9500円」……とびっしり手書きで書かれてある。日雇い時代に、仕事の予定と日々の稼ぎを手帳にまとめて管理していたのだ。

そこには、確かに梶原さんが生きていた証があった。

「独り身やったからね。なんかしなあかん、思って」

初回からずっこけた聞き書きの取組みだが、その後もめげずに続けた。

「居酒屋を切り盛りしていたが、認知症を発症したため入所した」とメモに書かれていた勝山さん(仮名)にも話を聞いた。白髪が綺麗な、凛とした礼儀正しい高齢の女性だ。前から気になっていた。

―(切り盛りしていたのは)どんなお店だったんですか?
ー長いカウンターがあってね、そこで、「はい!おおきにー!ちゃんときれいに食べてやー」って。

―お酒も飲むんですよね?勝山さんがママみたいな。
―そうそうそうそう。そん時は独り身やったからね。「なんかしなあかん」思ってあのお店したんです。

―すごいエネルギーですね
―そうなんですよ、やっぱり食べていかなあかんもん。それで、これくらいの鉢をね、お皿を5~6枚買って、それをカウンターの上においといて、「どれがよろしいですかーー?」言うて。そやけどね、うちのお店にお客さんが来てくれはるやんか、そしたらたーーっと小さいお店をバーッとつくらはったわ。

長いカウンターに大皿のおばんざい料理が並ぶ、昔ながらの居酒屋だったに違いない。一時は賑わっていたが、周囲に乱立した居酒屋チェーンに客を奪われる悔しい思いもしたそうだ。

お店の情報は、Googleマップに残っていた。僕の自宅のすぐ近くだった。勝山さんには、面会希望者も時々訪れていたため、そのことも聞いてみた。

おばんざい

カウンターに大皿料理が並ぶお店(イメージ)


―時々いろんな方が会いにいらっしゃるじゃないですか?あれお客さん?
―また違うねん。知り合いかな。ここもよう来てくれんな。うちもようわからんけど。

―でも会ったら思い出すでしょ?なんとなく。
―うちコレ(認知症)やからな(笑)「わー来てくれたおおきに!」いうねん(笑)

―あー、ピンと来なくても。
―そうそう。「どなた?」とは言わへんねん(笑)

―あーそうなんですね(笑)
―商売人や(笑)

―常連さんでも顔覚えられない人もいそうですよね。
―そんな時もな「やー来てくれたん!ありがとう!」って言うてな。面白かったよ、でもな、周りにいくつもできたからな、もう出たんですわ。それで市役所に相談しに行ったんやわ……おもろいやろ私の人生って。

勝山さんは、認知症という境遇を引き受けながら、記憶障害で知り合いの顔が分からないときも、居酒屋時代に身に着けた処世術で乗り切っていた。

こういうことは、第三者によってまとめられた「生活歴」や「フェイスシート」からは分からない。



聞き書きは、関係性を換気する。

後日、勝山さんのお店がある地域で昔よく飲んでいたという別の男性に聞き書きした時、試しにお店の名前を言ってみたら、「なんでそんな店知ってんの?(笑)もう今はやってないでしょ?行ったことないけど、目の前通ったことは何度もあるで。」と言っていた。

自宅の近所の勝山さんのお店があったところには、既に別のお店が構えているが、ここを通るたびにこの2人の顔を思い出してしまう。

お店

勝山さんのお店があった場所

救護施設の利用者といえども、地域でいくつもの関係性に囲まれ生きてきた歴史がある。考えてみれば、当たり前のことだ。生まれてきたときは必ず誰かがそばにいる。これも当たり前だ。

それでも施設で「支援者」としてのみ接していると、「認知症」や「刑務所出所者」といったカテゴリーが前面化して、一人一人が生きてきた時間の厚みを想像できなくなってくる。

それでは良い支援なんてできるはずがないし、何より自分が辛かった。

でも聞き書きをするときは、「支援者」の名札を外して「人生の後輩」という立場になれる。聞き書きは「支援」ではなく、あくまで僕個人の好奇心に基づくものだ。

だからこそ、関係性に風が吹く。聞き書きを終えるころには、目の前にいるのがカテゴライズされた存在ではなく、歴史と関係性を背負った1人の人間なのだと確認できホッとする。
自然と、普段の関わり方も変わってくる。

聞き書きは、やっぱり面白い。 
                   つづく


御代田さん

みよだ たいち
1994年神奈川県横浜市生まれ。東京大学教養学部卒。在学中、「障害者のリアルに迫る」ゼミの運営や、障害者支援の現場実習、高齢者の訪問介護などを体験する。卒業後、滋賀県の社会福祉法人グローに就職し、救護施設「ひのたに園」にて勤務。

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