父の病気が治った。喜ばしいことだ。
がんを宣告され胃を摘出することになった父は、晴れてまた家族と一緒に暮らせるようになったのだ。
それは晴れやかな地獄の入り口だった。

私と父の関係は良くも悪くもない。
私は積極的に話すタイプではなく、両親は私の友達や学校生活をほとんど知らない。両親はそんな私に無理強いをせず、食卓では母や姉の声だけが響き渡る。
父と最も関わるのは駅への送迎だったが、話した記憶はほとんどない。冷たいようにも聞こえるが、心地の良い時間だった。高校3年の夏、胃がんが宣告されこの時間がなくなるとは夢にも思わなかった。

消化器官が一つ欠けた父の身体は、ほとんどの食べ物を受け付けない。ドロドロとした液体を嚥下し、食後は消化の痛みに悶絶する。

母は毎日、父のため冷凍のご飯からおかゆを用意した。
食前の薬を飲んで10分後、5秒でも配膳が遅れると苛立ち始める。
「もっと早く準備しろよ」。
一口舌に乗せるとスプーンを止め、「不味い。もう食べたくない」。
「何度言わせるんだ!」、少しでも上手く解凍できていないと厳しく糾弾した。
醜く当たり散らす父は食事さえままならない身体に失望しているようにも見えた。

好物は全て食べられなくなり、一口ごとに休憩を入れなければならず、食べ終えても激しい腹痛と下痢に襲われる。生きるためには激痛に耐えなければならなかった。その鬱憤を晴らすため母を罵倒する姿にかつての面影はない。まるで別人が家庭に侵入してきたようだった。かつて理想的だった食卓で母は俯いて嗚咽を漏らし、ほぼ手つかずののおかゆを流しに捨てた。
暗い廊下の隅で涙を流しヒステリーを起こす母を前に、手術は失敗すべきだったと思わずにはいられなかった。

それから3年が過ぎた。
人は私が思うよりずっと強く、胃がなくなるとそれを補うように食道が膨らむという。驚くことに父は、今ではカレーやコロッケもすっかり食べられるようになった。胃とともになくなってしまった優しさも彼の身体とともに少しずつ修復を始めているらしい。
痛くても食べる価値があると笑う父は穏やかで、もう母に食事を捨てさせる外道は見る影もない。病が父を変えていったのだ。
髪や爪が伸びるように、がん細胞に侵されていくように、そして病から立ち直っていくように、良くも悪くも変化しなければ人は生きられない。あれほど憎んだこの事実に、私たち家族は救われている。

また駅に父が迎えに来る。今の父の面影は、あの頃と重なっている気がした。
                                                                                         
                  text/萌木

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