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好きなひと

高校時代に好きな人がいた。一つ上の先輩だ。
その人には文武両道という言葉がぴったりだ。生徒会長をしていたし、スポーツも、全国大会で入賞するような人だった。不正や悪を許さないまっすぐな性格で、言葉もストレート。全校集会、壇上でスポットライトに照らされるその人を初めて見た私は、密かに憧れるようになった。

共通の友人がいたことをきっかけに、一緒に帰るくらいには仲良くなった。今思い返せばとても気持ち悪いことだが、その人の移動教室の時間を全部覚えていた。今でも覚えている、火曜日の5時間目と6時間目の間の休み時間。体育館棟の廊下ですれ違うことができる時間だった。

高校2年生の1年間は、その人がすべてだった。頭の良いその人に憧れ、勉強も頑張った。スポーツ万能なその人に憧れ、部活も頑張った。その人に出会うまで、何もやる気のなかった私の高校生活。私を暗闇から這い上がらせてくれた希望の光だった。

学校帰り、一緒に帰るときは、よくドーナツを食べに行った。休みの日にはカフェで勉強を教えてもらった。その人から教えてもらったバンドのライブにもよく一緒に行った。その人が大好きで、その人の好きなものは全部好きになった。

ここまで読んで気づいただろうか。高校時代に好きだった人は私と同じ、女性だ。恋愛感情で、好きだった。自分は周りとは違う。多少の違和感はあったが「性的マイノリティ」なんて自覚もなく、ただ好きだった。手を繋ぎたかったし、デートもしたかった。しかし、それを彼女に伝えてしまえばこの関係は崩れると思った。この恋のことは誰にも相談しなかった。周りにとやかく言われるのも嫌だったから、一人で泣いていれば良いと思った。
 
あの日々から5年が過ぎた。2022年11月30日。「結婚の自由をすべての人に訴訟」東京地裁判決の日だ。9人目の原告である佐藤郁夫さんは、周りから「いくさん」と呼ばれ親しまれた。しかし、いくさんは今回の判決を迎える前、今年一月に急逝した。
 
「普段、帰り時間を合わせ、スーパーで夕食の食材を買い、時には外食もします。映画や録画したドラマを観たり、ユーミンなどのライブに行ったりします。私たちの日常は男女の夫婦と何一つ変わりません」

いくさんが遺した言葉。彼らの生活は他の誰とも変わらない日常。ものすごく普通で、ものすごく幸せなのに、この国の法律は,同性カップルが「結婚すること」を許さない。選択肢がないだけでこんなにも辛い。私や友人の生活だって、いくさんと同じ。

主要先進国・G7で同性婚を認めていないのは日本だけ。「多様性を認めよう」「LGBTQ差別をやめよう」誰もが口を揃えて言うが、何か前進できているだろうか。強いて言えば、今回の判決で「同性婚の選択肢がないのは違憲」という進歩。
「私のこと差別しないで!」とか、別に求めていない。ほっといて欲しいんだ。私が女の子を好きだと言っても驚いたりせずに「そっか、それでどんな人なの?」と話を聞いてくれる社会になって欲しいだけ。当たり前のように「彼氏いる?」と聞かれる窮屈な社会から、ほんの少し気を遣える社会に変わって欲しいだけ。

同性婚が認められたら死人が出るわけでもない。同性カップルが結婚できるようになるだけで、周りの人たちに大きな変化があるわけでもない。凝り固まった固定観念は、誰かがほぐさなければ変わらない。微量でも、私は前に進むための努力をしたい。

好きな人がいること。将来のための選択肢があること。今の私にその選択肢こそ無いけれど、同じ夢に向かって一緒に走ることができること。それをそっと見守ってくれる優しい社会があること。これって、豊かさだと思う。

                  text/mm61

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