コーヒーを淹れる時間は_相手を想うひと時だったのコピー

僕のスポーツ愛を受け止めてほしい

こんにちは。nagata(@SsfRn)です。

先日、Twitterにて深津さんのツイートを拝見し

僕はこんなツイートをしました。

ということで、今回はスポーツの愛を語ってみようと思います。私のスポーツ愛を受け止めてください。


スポーツは全員主役

スポーツって素敵だなと思う。

オリンピックやW杯では、人々を熱狂させてくれるし、夢を見せてくれる。人によっては、自分ができなかったことを代わりに実現してくれた存在として、アスリートに姿を重ねる人もいるでしょう。

アスリートの勝ち負けに対して、惜しみもなく自分の感情をぶつける。勝てばサポーター同士で抱き合って喜ぶし、負ければアスリートに罵声を浴びせてしまう人もいる。もう愛想がつきた!と言って帰るものの、次の試合には何もなかったかのように応援している。その人にとっては、もはやスポーツチーム・アスリートを応援することが、一つのライフスタイルなのである。

そんなプロスポーツがあれば、地元の公園でキャッチボールをしている親子もいる。会話を楽しみながらボールを投げては、キャッチする。ただそれだけの繰り返しのはずなのに、その一球一球に息子の成長を感じ取れる。あぁ、こんな強いボールが投げられるようになったんだなぁ。

東京に上京したての新社会人。新人研修会でフットサルを会社のメンバーでやることに。はじめは、おそるおそるの態度だったけど、気がつけばハイタッチして感情を共有していた。もう、そこにコミュニケーションの壁はない。自然に会話ができている自分に安心感を覚える。コミュニケーションツールとしてのスポーツである。

スポーツにはドラマがある。

それは、プロスポーツのアスリートに限ったことではない。スポーツに触れる全ての人にドラマ・ストーリーがある。それは、親子の成長ストーリーなのかもしれない。それは、新社会人の大きな一歩なのかもしれない。

スポーツは関わる人が全員主役になれる。

だからこそ、ドラマが生まれるのである。目の前の一歩、目の前の一球に夢中になれる。この瞬間を自分で客観視している人はいないだろう。

あなたのスポーツストーリーはなんですか?


スポーツが当たり前にある日々

私は幼い頃からスポーツが当たり前にある日々を送ってきたと思う。

一番初めは、小学1年生の時に、親の勧めで空手をやった。正直楽しさがわからず、1年ほどで辞めてしまった。

次も、親の勧めで水泳。水泳は、喘息予防になるという話があったのが理由だそうだ。こちらは3~4年ぐらい続いたのだが、意欲的に取り組んだわけではないので、成長スピードがなんて遅かったことか。平泳ぎもできずに終了。

その途中に、野球の体験に行ったり、サッカーの見学に行ったりしたが、全然しっくりこない。親の勧めでやったものは、結果としてポジティブな影響を及ばさないことを知った私は、自分でしたいスポーツを模索していた。そう。なぜか”スポーツ”からは離れようとしていなかった。別に、スポーツをしろと言われていたわけではないのに。

そんな中、私は一目惚れをした。

ぱんっ!と響き渡る打球音。黄色いボールを、網目がある道具で打っていた。テニスというスポーツだった。

この時の高揚感は今でも忘れない。全ての興味を持っていかれ、小学5年生の僕は一目惚れで、初恋をした。

早くやってみたい!と親に駄々をこねて、すぐテニススクールへ。もちろん全然上手く打てなかったが、でもこれまでやってきたどのスポーツにもなかった、ワクワク感がそこにはあった。

それからというものの、本格的にテニススクールに通い出し、ラケットを握らない日はなかった気がする。雨が降っていようが、台風が来て学校が休みだろうが、毎日ラケットを握っていた。握らない日が気持ち悪く感じるほど、テニスに飢えていたのである。

大会でも少しずつ勝てるようになってきて、高校は当時インターハイ優勝していた学校に入学を決めた。そこは通信制の高校だったため、親には反対されたが、これだけは譲れないと我を貫いた。当時の自分としては、ここまで我を貫いたのは初めての経験。

高校入学後は、朝から晩まで毎日テニスに打ち込む日々だった。年365日のうち年末年始以外の360日間、テニスと向き合い続ける日々。練習がきつくて投げ出したくなるときもあったけど、全国大会も経験させていただき、テニスを通じて得た仲間がそこにはたくさんいた。もともと内気で、人とコミュニケーションを取るのが苦手だった私にとって、この仲間の存在は貴重で、スポーツの価値に触れた瞬間だった。

大学では、スポーツを勉強するスポーツ大学へ進み、テニス部へ所属。実のところ、このタイミングでテニスを辞めるはずだったのだが、色々あって続けることになった。競争の世界に疲れてしまったことが、辞めようとした理由。でも、スポーツからは離れたくなかったし、離れようとも思わなかった。競争して相手を倒すことよりも、スポーツを通じて多くの人と繋がりたかったのである。「する」以外のスポーツと触れることで、それは実現できた。具体的にやって来たことは

・野球やサッカー、ラグビーなどプロスポーツ観戦

・ニューヨークでスポーツビジネス研修

・プロスポーツチームでのインターンシップ

・スポーツ系学生団体立ち上げイベント企画運営

などなど。実に多くの人と出会い、多様な価値観に触れることができた。自分で言うのもなんだけど、この経験が今の自分につながる一つのターニングポイントだったと思う。

社会人になってからは、フレスコボールというスポーツい出会い、協会と一緒に普及活動をお手伝いしていた。はじめは、まったく競技として成り立つとは思えなかったスポーツだったけど、気が付けば僕も日本代表選手として、ブラジルのビーチでフレスコボールをしていたのである。

周りにも毎週末フレスコボールするのが当たり前になった人が大勢いて、彼ら彼女らは大会がある度に涙する。それは自分のプレーが満足できたからではなく、ライバルのプレーを見て涙するのである。それはなぜか?それは、ライバルであり、仲間であり、家族だから。そのプレーを披露できるまでの成長過程を共にし、支え合い、多くの時間を共にしてきたからこそ、芽生える感情。溢れる情熱。とても素晴らしい空間がここにはある。

こんな感じで今もスポーツが当たり前にある日々を過ごしている。


スポーツは最強な接着剤だ

スポーツが持つ力ってたくさんあると思う。

冒頭にもあげたが、人に夢や感動を与えたり、コミュニケーションツールとなったりと。これらはとても素晴らしい価値であり、力だと思っている。

ただ、僕はこれらの力よりも「人をつなげる力」を一番重要視している。

スポーツが与えるつながる力のパワーは本当にとてつもないと思う。

同じスポーツを一緒にやるだけで、そこにはコミュニケーションが生まれ、人と人をくっつけている。そこに性別、年齢、国籍の壁はない。ブラジルに行った時のことを話すと、ブラジルはポルトガル語で、一切私は話せない。できても挨拶程度である。しかし、一緒にフレスコボールはできる。フレスコボールを通じて、コミュニケーションをとっているのである。終わる頃には抱き合っていて、それから会う度にハグをする関係になった。ハグ友である。ここには確かな”つながり”が生まれていて、帰国後もSNSでよくコミュニケーションをとっている。Google先生に助けられながら。

また、僕のフレスコボールの先生は、車椅子生活のブラジル人。車椅子に乗りながら、僕にフレスコボールのいろはを教えてくれた。普通のスポーツなら「え?そんなことありえるの?」とか思うかもしれないが、フレスコボールではそれができる。ちなみに、この選手は世界大会5位である。フレスコボールには障害者の部なんてものは存在せず、健常者に混じっている状況で世界5位なのだ。障害者・健常者そんな枠はここにはなく、1人の人間としてつながっている。

こんなことは、スポーツをやっていなかったら出会っていなかったと思う。

僕はこのスポーツが持つ「つながる力」を、もっともっと広めていきたい。

いや、この力を通じて、もっと充実した生活を送ってほしい。その手助けを私はしたい。

せっかくある命。日々頑張って生きている。

それなら、もっと楽しもうじゃないか!と思う。

日々のライフスタイルをもっと充実させていこう。

スポーツにはそれができる。

私はそう信じている。

否定的な意見を言われてもここは変わらない。スポーツは人の人生を豊かにできる。それは事実だし、私はそれを発信し続ける。

これが私のスポーツ愛。

受け止めていただき、ありがとうございました。


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