自分の嫌いなところを受け入れること
日頃、生活をしている中で、自分の一部に対して「嫌い」と感じる自分がいる。
自分のことだからこそ、怖くて傷つきたくなくて、目を背けてしまうし、蓋をしてしまいたくなる。実際に僕はそうしてきた。
すると、ドロドロした感情を感じる自分と、客観的に見て正しい判断をしようとする自分がぶつかって、結果としてかなり堕ちてしまう。
「こうすればいいのはわかってるのに、なんでこう感じてしまうんだろう」
そんな悩みを抱えたことは、数えきれない。
そういう時は決まって、別のことへ没頭し、自分の嫌な部分を視界から消す。そしたら、気が付いたら感じなくなっていて、気が付いたら忘れている。そうやって、歩いてきた。
でも、それって本質的に何も解決できていないよなぁとずっと思っていた。のらりくらりとかわし、自分を守るために鎧を着ているだけだなと。
自分に嘘をついている状態とも言えるかもしれない。
とある友人とのやり取りの中で、そんな自分との向き合い方が見えてきた。自分の嫌なところも、ドロドロした感情も、一度受けいれること。一度肯定してあげること。蓋で閉じ込めず、見てあげること。
そうするだけで、感じ方が一気に変わる気がした。いや、感じ方というよりは、向き合い方と言った方がいいかもしれないけど。
どんな自分も、自分である。「分人」という考え方が僕の周りで浸透している。本当の自分なんていない。友人の前の自分も、家族の前の自分も、恋人の前の自分も、全てが自分であるという価値観。僕もその通りだと思うし、今の状態にも当てはめられるなと思っている。
このドロドロでダメな自分も、自分の一部。自分の一部なのに、存在を否定的に見てしまうから、きっとモヤモヤやドロドロが増していくんだなと思った。
一度受け入れる。その上で、少しずつ消化させていく。そんなスタンスが、今の自分に求められている。そんな気がする。
この話に紐づくんだけど、鳥井さんのこの記事で紹介されているブッタの考え方がとても響いた。
「自我のまわりに、自分が所有する世界をつくるから苦しみが生まれる。自分自身がそもそも自分のものではない」
「我々は、自我のまわりに自分の所有する世界というのを無理矢理つくって、そしてそれをそのまま抱えて生きていこうとするから苦しみが起こるのだ」
僕のドロドロした感情って、間違いなく僕自身が「所有」しようとすることによって生まれている気がしたから。
まずは、そんな自分と向き合おうと思う。一方的に否定せず、ひとつひとつの感情を紐解いていく。
きっと、その作業の積み重ねが人を強くしていくんじゃないかなと思う。
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