「弱いAI」
こんにちは。
新日本法規出版コミュニケーションデザイン部の松浦です。
私が大学生だった30年前、通っていた大学の学部に、確か情報科学部という名称の学部があり、人工知能(AI)を研究する学部だったように記憶しています。当時の私のAIに対するイメージは、映画「ターミネーター」に代表されるように、AIが暴走して人間を支配しようして、それを如何にしてコントロールし共存していくのかというものでした。
現在AIのイメージはというと、もっと生活に身近なところで、人間生活を便利にする手段のひとつとして、あらゆるデータベースから情報を集約し、ユーザーが提示した条件に対して最適な提案をしてくれるものというイメージに変わりました。
AIとは、「Artificial Intelligence」を略したもので、日本語で「人工知能」と訳されていますが、30年前と現在で何らその意味が変わった訳でもないのに、自分を取り巻く環境が変わり、時代の流れとともに私個人のAIのイメージが変わってきたのだと実感するとともに、AIってどこからがAIで、どこまではAIじゃないのかという線引きするラインがあるのではないかという疑問が湧いてきました。というのも、最近なんでもAIという言葉が流行り言葉のように使われ、私のような古い人間には、浅はか且つ偏りのある見方であることを恐れずに言うと、AIとはもっと崇高なものであったからです。
インターネットで少し調べてみると、「強いAI」「弱いAI」という言葉が見つかりました。AIに「強い」とか「弱い」なんて誤解を招きそうな日本語表現と思いつつも、検索に幾つも引っかかったので、どうやら一般的な概念のようです。簡単にいうと、「強いAI」とは、人間と同等あるいは人間のように意思決定することで、「弱いAI」とは、人間のような意識を持たない機械的なもので道具として使われるものという考え方のようです。そこで、やっと腹落ちしました。私が勝手に崇高なものと思っていたのは、「強いAI」で、現在、便利な道具として使われているものは「弱いAI」なんだと。改めて身の回りのものを見渡してみると、洗濯機、掃除機、エアコンなどの家電から自動音声・翻訳やスポーツまで様々な「弱いAI」が活躍していますね。
当社でも自動音声ソフトが活躍しています。簡易的に制作する商品紹介動画などは、AI自動音声を使うことも多くなりました。「弱い」といえども、もはや機械的なぎこちなさはなく、流暢になったものだと感じます。
2023年12月22日に発刊した「実務家・企業担当者が陥りやすい ハラスメント対応の落とし穴」では、初めてAI音声読み上げ特典付きで販売しています。
リアルな「落とし穴」は場所がわかりませんが、本書もハラスメントの「落とし穴」の場所を教えてくれるものではありません。書籍タイトルにあるように、ハラスメント対応の「落とし穴」となっていて、「落とし穴」に書いてあるような対応をしてしまいがちなところを「それでは改善に結びつきませんよ」と解説中で著者2名の視点から検討の手がかりが紹介されていますので、適切な対応方法を知ることができる一冊となっています。
ご興味のある方は、是非お手にとってご覧いただけると幸いです。