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その人、を見ませんか?

海外のニュース、特にネガティブなものを見た時に思うことがあります。

「これを見たどれだけの人がこう思うんだろう。
  ”この国の人は〜” …」


ステレオタイプ

国や国籍をベースとした印象形成には多くの要因が関係していますが、最も身近なものとしてのメディアの存在はとても大きいと感じます。

ニュースでは、”その国のこと” を伝えているのであって、”その国の人” を総じて表しているのでは当然ありません。

しかし、実際に接したことがない人にとってはその国の人を印象付ける唯一の情報となる可能性は十分にあります。
そしてそれらが少しずつ積み重なると、その国やその国の人に対する印象として確立されていってしまう。
しまいには、知らず知らずのうちに最初からそういう目で見るようにもなる。


もったいないです、これは。


「その人」を見ませんか?
「〇〇という国の△△さん」
これは、個人を特定する役割だけで十分です。
そこから先は、「△△さん」、これだけ。


「そんなことは分かってるよ」
良識のある皆さんなら、こう思う方も多くいらっしゃるでしょう。でも…

『言うが易し 行うが難し』

ここを皆さんと共有したかったのです。

知識として納得してることと実際にできることは同じではありません。
これを実際の行動として反映させるには「努力」しかないと考えています。
それも結構な努力です。
さもないと、無意識という根っこの部分は簡単には変えられないと思うからです。

なぜここまでこだわるのか。
それは僕自身がこれまで多くの外国人と接してきて、
「印象と個人は全く違う」
ということを身をもって体験してきたからです。
これは自信を持って言えます。

「人によるだろ、それは…」
こう言う方もいるでしょう。
でも、その方にはそっくりそのままお返ししたいと思います。
「そう、人によるんだよ。だから一括りにするのもやめろよ」

ちょっと攻撃的な物言いになりましたが、異文化との共生において重要なことは「その人本人を見る」ことだと思っています。
よく異文化コミュニケーションというジャンルにおいては「その国の文化や習慣を理解し〜」なんて言います。
しかし共生は「その国」ではなく、「その人」という個人レベルでしか実現は不可能だと思っています。

想像してみてください。
自分がどう思われたいか、思われたくはないかを。

「日本人の私」?それとも「私」?

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