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バッハアレンジ②無限の月灯

バッハ曲のアレンジを初めてやってみた件は、以前書いた通りです。

今回は,2曲目のアレンジ、無限の月灯(CNo39)の話を書きますが、この曲ができるまで,実は紆余曲折がありました。今日はそれを順に書いていきたいと思います。

アダージョだけ聴きたい

バッハのオルガン曲が好きだと以前書きましたが、実はそれほど好きではない曲もあります。一般に長調の曲は、私にとって短調の曲より心に響くものが少ないのです。好きだと言っておきながら失礼な話なのですが。

トッカータ、アダージョとフーガハ長調(BWV564)は、まさに私の好みが表れる曲です。半ばから始まるアダージョはとても好きなのですが、初めのトッカータと最後のフーガがどうも好きになれません。トッカータとフーガはハ長調、アダージョだけがイ短調です。

(Hans-André Stamm演奏、5分45秒あたりからアダージョ)

私の勝手な妄想では、この曲を作ったときのバッハは、最初何か腹立たしいことがあったのではないかと思います。怒りっぽい方だったとも聞きますし。

なんとなく投げやりな出だしに聞こえ、そのままの調子でトッカータが終わるのですが、ひと息ついた後に続くアダージョは別人のように美しい旋律で、気持ちが落ち着いたときに奇跡的に湧いて出たメロディのように感じます。

しかしフーガになると、腹立たしい件を思い出したのか、また投げやりな感じに戻った、という風に感じてしまうのです(この曲のファンの方には申し訳ありません!)。

そんなわけで、私としては何とかアダージョだけ繰り返し聴きたい、という希望がありました。そんなわがままをかなえるために、楽譜に忠実に再現して作ったのがAdagio(CNo28)です。Organ3という音源を中心にして打ち込んでいます。

これはオリジナル曲ではなく、いわば写経のようなもので、書き写すことにより学ぶ、という感じでした。したがって、誕生日というより「勉強を始めた日」が2018年7月22日です。

本当は、いったん書き写した上でアレンジしてみよう、と思っていました。ところが、原曲が好きすぎてなかなかアレンジが浮かびません。とっかかりがつかめず、ついにこのときは断念してしまいました。

今度こそ! アレンジ再トライ

それから3年経ちました。コロナ禍という未曾有の歴史的出来事の只中に身を置くという経験をし、高齢の父が亡くなり、まだそこまで高齢ではなかった兄まで亡くなって、私もそれまでとは違う世界に住むようになったと感じます。

2021年になり、前年亡くなった父の命日が近づいた11月15日に、ようやくアレンジに再トライする気になりました。無限の月灯(CNo39)の誕生です。しかし、やはりどうしても原曲が完璧すぎて大きく変えることができず、楽器を変える程度のアレンジになりました。冒頭に無伴奏ソロ的にテーマを掲げ、全体に少しカジュアルに仕上げています。

無限の月灯の意味

私は作りかけの曲を聴きながら歩くことが多く、歩いている間に曲の続きやタイトルを考えています。この曲も、以前はAdagioのタイトルで進めていましたが、今度は一応アレンジしているので自由に名前をつけようと思いました。

寒くなってきた夜道を歩き、少し身を縮めながら足早に家路に向かっていると、自分の足音と作りかけの曲が混ざります。後ろから月灯がどこまでも追いかけてくるような錯覚を覚え、タイトルを無限の月灯(むげんのつきあかり)にしよう、と決めました。途中からフットステップも入れてみました。

また、この曲を作っていた頃、思い立ってデータサイエンス学習のための微積分復習というオンライン講座を受けていて、数十年ぶりに無限数列の話を聞き懐かしくなっていたというのも影響しています。

トッカータ、フーガも実は良い?

原曲のトッカータ・フーガの部分についてですが、今回このnoteを書くにあたりWikipediaを見てみたところ、ここに載っている米海軍楽隊員 Thomas Knoxさんによる吹奏楽編曲版というのがとても良く、驚きました。大好きな部分より、むしろそうでもない部分を編曲するべきだったか…と反省しています。次はトッカータやフーガのところに挑戦するかもしれません。


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