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本当に「コミュニケーション能力がない人」はあなたのことではない。


こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。

 高校生の「コミュニケーション」というキラーワードに関する関心はとても高いようで、選択授業の説明会をすると、毎回溢れるほどの生徒が興味を持って参加してくれます。

 その際、よくこんな相談を受けます。

「僕にはコミュニケーション能力がありません。」


 こんな相談をしてくれる生徒は、たいがい安心です。
 よくよく話を聞いていくと、彼らは、コミュニケーション能力を、

「人前でうまく喋る能力」
「誰とでも馴れ馴れしくできる能力」
「初対面の人に物怖じしない能力」


のようなものだと考えています。
 中には、どう考えてもコミュニケーション上手な生徒ですら、「自分はコミュニケーションが苦手だ」と考えてしまうこともあるようです。

 コミュニケーション能力というのは、総じていうと野球に似ているような気がします。
「野球がうまい人」というと、打って、投げて、取るのがうまい人になります。中にはイチロー選手や大谷選手のように全てが超一流の人もいますが、全てが超一流のプレーヤーはほんの一握り、むしろ、ほとんどいないでしょう。
 打つのが得意な超一流プレーヤー、守備の職人、エースピッチャー、どの人も「野球がうまい人」です。

 コミュニケーションも同じように、話すことがうまい人、聴くのがうまい人、場を調整するのがうまい人…など、たくさんの能力からなっています。

 ところが"コミュニケーション能力"と聞くと,、多くが「話がうまい」人を想像してしまいます。みながみな、芸人さんのようにうまく話し、話を振られたときに秀逸な切り返しをできるわけではありませんし、それがコミュニケーション能力の全てではありません。それなのに実際は、コミュニケーション能力が高い人というと、上手に「話す」方に焦点が当たっているケースがほとんどです。
 そのため、とても聴き上手な、みんなから慕われているような素敵な人でさえ、ご自身のことを「話すことが苦手で、コミュニケーション能力が低い」と自己評価をしてしまう始末です。
(「コミュニケーション能力」についての詳細は別の記事で解説いたします。)


 さて、このような相談をいただいたときですが、まずは、

「”コミュニケーション”とは”話す”だけの狭い次元の話ではない」

ということを理解してもらいます。

 今日の本題はここからです。


 もう一つ、こちらは問いかけをします。

 本当の意味で、「コミュニケーション能力がない人」とはどんな人でしょうか。

(ここでいうコミュニケーション能力がない、とは、脳の器質的な異常や先天的な障がいなどではないケースを想定しています。)

 このような問いに対しては、以下のような意見が多いように思います。

「うまく話せない人」
「人の話を聞かない人」
「協調性のない人」

 きっと、今まで出会ったコミュニケーションがしづらかった人をイメージしているのだと思います。中には、その人の顔が浮かんで来るような具体的かつ、詳細なエピソードを話してくれる人もいます。

 さて、これら「コミュニケーション能力のない人」の特徴をたくさん聞けば聞くほど、ある一つの共通した特徴が浮かび上がってきます。

 決して技術的に「下手だ」「苦手だ」という人ではありません。
 性格的に「内気な」「内向的な」人でもありません。

 それは、

「自分のコミュニケーションに問題があることに気づいていない人」

です。
 例えば、こんな人でしょうか。

 高圧的な物言いをすることから、相手が本音を言えないにも関わらず、
「あいつがちゃんと話さないから伝わらない。」と漏らす人。(高圧型)

 あるいは、普段から機嫌が悪く話しかけづらいため、うまくコミュニケーションが取れないでいるのに、
「最近の若手は報告すらまともにできない」と愚痴る上司。(気分型)

 基本的に自分の話をすることがメインで、相手の話を聞いていないのに、平然と、
「彼は特に意見は無さそうでした」と答える、話を聞かない人。(壊れたスピーカー型)

 自分にとって必要以上のことは話さず、お互いの理解などに齟齬が生じたときに、
「きみは本当に察しが悪いよね。」という言葉足らずの人。(わかるよね?型)

 ハッキリと伝えると、
「そんなにキツい言い方しなくても・・・」と言い、
傷つけずにオブラートに包んだ言い方をすると、全く意図を汲み取れない人。(ガラスのハート型)


 具体例で挙げた「~型」は私が便宜上付けているだけで、特にちゃんとした分類がされているわけではありません。また、今回挙げたのは一例で、他にもいろいろな型を持った人がいると思います。
(みなさんの具体的なご経験があれば、ぜひコメントにて教えていただけると嬉しいです。とっても勉強になります!)

 これらに共通している「自分のコミュニケーションに問題があることに気づいていない人」は、言い換えると、

「コミュニケーションにおける問題のベクトルが、自分に向いていない人」


と言い換えることもできます。
 コミュニケーションは決して一人ではできません。
 だからこそ、「相手だけが原因」であることもなければ、「自分だけに原因」があることもありません。

 「自分にはコミュニケーション能力がない」と思っている人は、自分にベクトルが向いているので、いずれ原因を克服してコミュニケーションが上手に取れるようになるでしょう。

 しかし、他人や環境にベクトルが向いている人は、いつまでたっても、「自分にも原因がある」ことに気づくことはないでしょう。

 つまり、コミュニケーション能力が本当の意味で「ない人」というのは、この記事を読んで問題意識を持ってくれている人、すなわち、あなたではありません。自分のコミュニケーションに問題意識がない人、あるいは、コミュニケーション上の問題だと全く気付いていない人であると、私は考えています。

 コミュニケーションの問題意識がない人に対し、気づかせるというのは至難の業です。

 だからこそ私は、コミュニケーション上の問題を気づく礎として、「コミュニケーションを教育する」「コミュニケーションを学ぶ」意義があると考えています。

 こちらの記事が、少しでもどなたかの役に立てれば幸いです。

 稚拙な文章かつ、長文に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

まとめ

・コミュニケーション能力がないとは、単に「話す能力が乏しい」という狭い次元ではない。
・そして、技術的な問題でもない。
・本当の意味でコミュニケーション能力がない人は、「自分に問題がある」ことに気づいていない人である。
・言い換えると、コミュニケーション上のベクトルが相手や環境に向いている、そもそも、コミュニケーション全般に問題があることにすら気づいていない人である。

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