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コミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症な僕が好きでもない人たちから過度な期待をされる理由

タイトル通り、僕は過度な自意識とかコンプレックスからくるコミュ障、対人恐怖、あがり症、ED、不安神経症となんとか折り合いをつけて生き延びてきたと自覚している。

でもそんな自覚とは裏腹に、今僕は小さなベンチャー企業の経営者だ。

周りから囃し立てられ、過度な期待をかけられ、金融機関や投資家は僕に少なくない額のお金を投資し、ピッチイベントなんかで登壇させられ、同業者と対談させられ、果てはテレビに引っ張り出され芸能人と対談させられたりもするなんてひどい冗談を通り越して、悪夢としか言いようがない。

そんな完璧に偽ったキャラクターの僕に、どう考えても達成できないような嘘100%のKPIの設定をさせ、
「応援してるから、がんばれ!」
「諦めるな!」
「お前がやらずに他に誰がやるんだ?」
などと彼らは喚き続ける。

もちろん「がんばれ!」ではなく「がんばったね」と言ってくれる人など家族を含め誰一人いない。

本当に辞めたければ、全てを投げ出して自己破産か夜逃げでもなんでもすればいいのだが、僕にはそんなことをする勇気すらないチンカス野郎だということは説明するまでもないだろう。

まあ、それでもなんとか現状は受け入れていて、いつ頃にくるかなんとなくイメージできている破綻(死)に向けて、外面では派手に振る舞いつつ内心は息を潜めて、次から次へとくる体の不調を誤魔化しながら生き続けている←今ココ状態である。

学歴すらも三流で頭の回転も鈍い僕が、もう何年もなぜこんな場所に居続けることができているのか?
人はなぜこんな僕の出鱈目に耳を傾けるのか?
考えてみた。

理由は「声」だ。

話し方もあるけど「低い声質」だ。

僕が金融機関の人間であれば、間違いなく僕の稚拙な事業計画に金を出したりはしない。そんな稚拙な事業計画に説得力を与える要素は「低く説得力のある声質」で間違い無いと思う。

動画を見ていても、テレビを見ていても、中身が無いのになぜか聞き入ってしまう声質の人がいる。人はそんなにそのことを意識していないけど声質が人に与える影響は大きい。
それは誠実な人柄を印象付ける力にもなるし、安心感や恋愛感情なんかも与えることができると思う。

ぜひ周り人の声を意識してみてほしい。良い声だと思える人を観察し、その人がどんな人で、かつその人対し自分がどのような印象を持っているかを感じてみてほしい。

ひょっとしたら大した実績もないのになんかすごいと思ってるとか、その人に的外れな指摘や説得を受けた時、少し違和感を感じつつも受け入れている、なんてことに思い当たるかもしれない。

もちろん詐欺師は論外だが、声は変に説得力を持たせる力があるので、良い声を持っている人は意識せずに危険な武器を所持していると自覚すべきだし、身近に良い声の主がいる人は過度な期待をしないよう気をつけた方が良いと思う。

コミュ障なのに良い声なんて悪い冗談だし、人生を狂わせる。





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