なぜ浅田次郎?

 浅田次郎の書く文章が好きだ。JALの機内誌のSKYWORDに書いているエッセイ「つばさよつばさ」では、旅行作家を名乗るだけあって描写がうまい。日本ペンクラブ会長。泣かせの浅田といわれるくらい、心情風景の描写がすばらしく。とにかく書き物がうまい。浅田先生を目標にして、2歩も3歩もあしもとに及ばないので、浅田五郎”くらい”を自称したこともあったが、五郎どころか浅田を名乗るのもおこがましい。真似すらできない。心酔しているといってもいい。
そんな浅田先生、なにをきっかけに読み始めたか、浅田次郎先生との出会いは、数学の教科書からはじまる。

会社にはいってから、必要があって線形代数を勉強しはじめた。写像とかベクトルとかマトリックスとかのあれ。教科書は、東京大学出版の線形代数入門。藤原正彦先生の著作である。この本は、東大の理系の教養課程の教科書になっている。

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藤原先生は、エッセイを書くのがうまく。数学家であり文筆家でもある。「若き数学者のアメリカ」からはじまり、ベストセラーになった、「国家の品格」の著者である。実はこの国家の品格は、口述を編集者がまとめたとのことなので、実際は執筆はしていないらしい。そして、お母さんは、藤原てい。藤原ていは、満州から引き揚げの体験を遺書のつもりで小説にして書いた「流れる星は生きている」の著者で、この本もベストセラーになったらしい。読売新聞の人生案内の回答者も長いあいだやっていた。藤原ていの、だんな。藤原先生のおとうさんは、新田次郎。「八甲田山死の彷徨」の作者。
作家家族である。DNA配列が文章がうまいという特性をもっているとしか思えない。文体に特徴があるのか、なにか共通点があるのかと思い、新田次郎を図書館でかりようとしたのだが、間違えて浅田次郎を借りたのだろう、気が付かず何冊か読んだ。

もうお気づきかもしれないが、勘違いしていたのである。次郎つながりで、藤原正彦先生と浅田次郎先生は親子かとおもって、間違えて読んでいたのである。読んでいるうちに入れ替わってしまったのである。実はエッセイの書き方ではこの二人似ている。

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