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こもれびより ~commoré-biyori~ vol.2「大切なものは目には見えない」(2018/8/18) レポート

語学塾こもれびによる2ヶ月に1度のイベント「こもれびより~commoré-biyori~」の第2回目を8月18日(土)に開催いたしました。今回ご参加くださった7名の方々、ありがとうございました!

今回のテーマは「大切なものは目には見えない」。フランスの作家、サン=テグジュペリの「星の王子さま」の中のあまりにも有名な一説ですね。前回の「こもれびよりVol.1」で今後扱ってほしいテーマを来場者の皆さんに聞いた際に、「視覚言語」というテーマを出してくださった方がいたので、今回はそこから決めました。(興味のあるテーマなどありましたら、どなたでもご意見をお寄せいただければと思います!)

志村講師による第1部では「日本語の目力」と題して、日本語の文字の豊かさについて扱いました。まず初めに、4名の方に日本語のディクテーションをやっていただきました。ディクテーションとは、読み上げられた文章を書き取ること。主に外国語学習の際に取り組むものなので、母語でディクテーションをやるというのはめったにないことですね。お題になったのはこんな一文でした。

「今からお話しするのは8月1日に私が食べたチョコモナカのことです。」

私ならこう書くだろうということでこのような表記にしていますが、声を聞いて書き取るので何通りもの書き方ができます。実際に、4名の方々で書き方が完全に合致することはありませんでした。ひらがなと漢字の違い、日付の表し方の違い、など、音と文字が1対1で対応していない日本語の面白さが浮かび上がりました。中でも「どうしてチョコモナカは全部カタカナで書いた?」という問いに対して、一人の生徒さんが「モナカだけだったら『最中』と漢字で書いたと思うけれど、チョコモナカはそれでひとかたまりな気がするからカタカナ」と答えていたのは興味深かったです。(外来語を表すのにカタカナをよく使いますが、「最中」は和菓子なので日本語なのです。)

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続いて、飯野講師による第2部「見えすぎるという盲目」では、よく見えること、よく理解することばかりが重要視されるこの世界に疑問を呈し、「間」や「沈黙」について考えました。「啓蒙」という言葉が「蒙(くら)きを啓(ひら)く」の意味であること、物事を理解できるようにすることを「明らかにする」と言うことからわかるように、物事を知ること、理解することは「光」と結びついています。そして暗闇では周りが見えませんが、「光」があれば視覚が働きます。見えないもの、理解できないことすべてに光を当てて明らかにしようとするところから百科全書が生まれ、その延長線上には現代で言えばGoogleがあると言えますが、何でもよく見えるようにすることは果たして良いことなのでしょうか。

暗闇では何も見えないからといって何もないわけではありません。耳を澄ませたり、近づいて触ってみたり、視覚以外の感覚を駆使してそこにあるものに寄り添うことができます。暗闇や沈黙は「無」であるかのように語られますが、実際はそうではないということを体感するべく、ミニ講義の中ではアメリカの作曲家、ジョン・ケージの『4分33秒』という「曲」を鑑賞しました。耳を澄ますと普段は気にも留めないような様々な音が聴こえるものですね。(個人的なことですが、家族が寝静まって私も寝ようと部屋の電気を消した後に考え事がはかどってしまうのは理にかなっているのかもしれない、と思いました。)

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ミニ講義の後は、参加者の皆さまとこもれび講師陣とで飲み物と軽食を囲んで交流しました。

「こもれび」はちょうど2年前の8月18日に生まれたということで、この日は2周年の記念日でした。お酒もたしなみながら、この2年間のこもれびの話や、それぞれがこもれびについて思うことなど、このような日ならではの話がたくさん聞けました。また、こもれびの話にとどまらず、普段各々が考えていることを思う存分語り合い、有意義な時間を過ごすことができました。年齢も性別もバックグラウンドもバラバラな人たちが「こもれび」という接点があることで言葉を交わすことができること、「こもれび」がそのようなことを可能にする場所になっているということが喜ばしいことだなと思います。

あらためまして、今までこもれびに関わってくださったすべての皆さまのおかげで2周年を迎えることができました。この場を借りて感謝申し上げます。

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