こもれびより ~commoré-biyori~ vol.4「言葉を聴く」(2018/12/22) レポート
12月22日(土)にイベント「こもれびより~commoré-biyori~」を行いました。今年の6月に第1回目を開催して以来、2ヶ月に1度のペースで会を催してきて、今回、第4回目を迎えることとなりました。
思えば、2018年は、国分寺の地に移転したり、「こもれびより」を始めたりと、こもれびにとって色々な動きがあった1年だったように思います。見守っていてくださった方、助言をくださった方、支えてくださった方、ありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
さて、年の瀬モードになってしまいましたが、今回もイベントの様子をお伝えしたいと思います!
今回は「言葉を聴く」というテーマで、言葉と音について取り上げました。何か音のようなものを「きく」と言うとき、日本語には「聞く」と「聴く」の2種類がありますが、皆さんはどのように使い分けているでしょうか? 会の初めに、自己紹介とともに、この2つの「きく」の違いについて思うことを参加者の皆様に話していただきました。すると、意味の違いの考え方や、使い分け方が一様ではないことが浮き彫りになりました。
例えば…
・「聴く」は深く理解しようとする感じ。
・「聞く」は、例えば道を尋ねるときに使う。「聴く」の方が前のめりで、自発的なイメージ。
・「聞く」は言葉や意味を理解しようとする時、「聴く」は考えるのではなく感じる時に使う。
…といった意見が出ました。
そこで、言葉をきく場合と、音楽をきく場合には、それぞれ「聞く」と「聴く」のどちらを使うか、というアンケートを取ってみました。すると、「言葉を聴く・音楽を聞く」派に対して、「言葉を聞く・音楽を聴く」派がやや優勢でありながらも、おおよそ半数ずつに分かれる結果となりました。ある参加者の方は、こんなことをおっしゃっていました。「音楽の種類にもよる。好きなアーティストの音楽をきく時は『聴く』だけれど、好きできいているわけではない音楽は『聞く』かなぁ」…「聞く」と「聴く」の違いって何なのでしょうか? ここから、田邉講師と志村講師によるミニレクチャーが始まりました。
まず、音の正体は空気の振動、波です。音だけではただの波ですが、音に心と書いて意味の「意」の字になるように、音に心(気持ち、伝えたいこと)が合わさって意味が生まれます。音をx、心をyとすると、xを受け取ることというのは頭が考えるまでもなく、耳が勝手にキャッチしてくれます。こうしてきちんとxを受け取ることができてはじめて、受信者はyを考えます。xが耳に伝わって、yが頭の中で考えられることで、言葉がやっと伝わるというわけです。外国語を学ぶときにまず発音が大事になってくるのもそのようなわけで、xが伝わらないことには先に進めないからなのです。こもれび塾生の秋本さんは、xのところで失敗した経験をお話ししてくれました。
カフェスローさんで、フランス語で自己紹介をしていた時のこと。 « J’aime lire.(私は本を読むのが好きです)»と言いたかったところ、 « J’aime rire. (私は笑うのが好きです)»と言ってしまったそうです。LとRの発音を間違えただけで、全然違う意味になってしまい、フランス語ネイティブの方たちを笑いの渦に巻き込んだのだとか。(この例の面白いところは、LをRに置き換えても文法的には間違いがなく、意味が通じてしまうことです。このフランス語のlireとrireのような2つの単語は、「ミニマルペア」と呼ばれます。)
言葉と音について話していく中で、補足説明がたくさんあったり、参加者の皆さまから色々な質問があったりしました。「外国語話者にとって難しい日本語の発音って?」「Vの音が出てくると「ウ」に濁点をつけて表すことがあるけれど、「ヴィ」と書いてあっても「ビ」と読むことがあるよね?」…などなど、今回は決めてあったテーマを軸に、枝葉が豊かに広がった会となったのでした。
その結果、「『聞く』と『聴く』の違いって何だろう?」という最初の問いが宙ぶらりんで終わってしまったので、ここでわたくし塚本なりに思ったことを記してみたいと思います。
こもれびより当日にも少しお話ししたのですが、「聴く」という言葉について、私の中学の時の担任の先生がこのようなことをおっしゃっていました。「聴くってことは、耳に目と心を+(プラス)することなんだよ」。この言葉はとても印象に残っていて、考えてみれば私は「きく」を文字に起こさなければならない時、いつも「目と心が伴っているか」を基準に「聞く」と「聴く」を使い分けていたように思います。先ほどのxとyで言えば、xだけを受信した状態が「聞く」で、xだけでなくyまでしっかりと受け取れている時、それは「聴く」だと言えるのではないでしょうか。
ですが、目を閉じていても「聴く」ことはできますし、音の発信源が直接見えなくても「聴く」ことはできます。ひとりでカフェに行ったときに、多くの人が「聞き」流しているであろうBGMを「聴いて」いたりすることがときどき私にはあります。なので、目はあくまでも補助的なものなのかなと理解しています。yを考えるにあたって、心にさらに目も加われば、より発信者の心に寄り添いやすくなると思うので、目に見える相手の話をきく時に、相手のことや話題に上っているものを見たり、耳以外の他の五感も働かせたりすることで、「聞く」から「聴く」になりやすいのかもしれません。
…と私個人の見解を書いてみましたが、これには正解があるわけではありません。今回のイベントを通して、皆さんにも、ご自分の「聞く」・「聴く」を考えてみていただけたら幸いです。
(22日の開催だったので、参加者の方もお菓子を持ち寄ってくださり、シュトーレン、ショートケーキ、ジンジャークッキーとクリスマスらしいラインナップになりました)