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「性に目覚める頃」を読んだ頃

 宮城まり子の『淳之介さんのこと』を読んでいたら、雪見障子というのが出てきた。
 宮城まり子さんは、室生犀星の『蜜のあわれ』という金魚が主人公の小説を読んで、その金魚の役を演じたくなった。それで上演許可をもらいにお宅にうかがった(犀星さんのウチには電話がない)。
 ところがその日、犀星さんの奥さんが亡くなった。それをまり子さんは犀星さんちの玄関で知らされる。作品の許可のことなど言えなくなり、らんの花をおくった。
 三ヶ月後、まり子さんの弟が亡くなって、こんどは犀星さんからこぶしの花がおくられる。そんなことがあって、遊びにくるようにいわれたまり子さん。それから月に2回ほど訪ねるようになり、それが犀星が亡くなるまで続いた。
 犀星さんちの居間には、本が一冊もない。かわりに骨董品がある。そして、右手に茶道具、左手に雪見障子。雪見障子というのは、障子の下半分が上がるようになっていてガラスがはめこまれている。そこから雪や庭を見るのだろう。
 まり子さんがフリージヤを持っていった日、居間で犀星さんに問われた。花はふつう花のほうを下にして持つのに、あなたは上にして持っていた、と。まり子さんはそうやって歩いてきたが、そんなところを見られているとは知らない。

「あの、たぶん、下にむけた方が、根のない切り花にはやさしいと思います。でも、あんまり、フリージヤが、きれいだったので、咲いている形のまま、上にむけて持って来て先生にお渡ししたかったのです」

 その日の帰り。玄関まで見送ってくれた犀星さんのまえで、まり子さんがハイヒールをはこうとしている。

……“足を見ていらっしゃる”と感じたら、急に目がまわって、沓脱ぎから靴を片方落とし、拾ってはいて立ち上がったら、左右あべこべであった。はきなおす勇気はなく、「先生、サヨウナラ」と小学生みたいなおじぎをし、アヒルみたいに歩いて表に出た。
 室生先生は、泣きそうになって笑った私を見て、なんと思われたか知らない。帰って、淳之介さんに言ったら、大きく笑ったあと、ふと「雪見障子か。犀星やるナ」と言った。

 足を見ている、となぜわかったのかな、まり子さんは。
 話はそれるが、まり子さんは文章がうまい。ぼくはまり子さんの文章が好きなのだ。まり子さんの文章が好きなのか、まり子さんが好きなのかわからなくなる、とどこかでだれか(素人のひと)が書いているのを読んだことがあるが同感だ。
 それにしても犀星さんの、女性というか女性の身体にたいするフェチな視線はすごいと思う。ぼくは「性に目覚める頃」を読んでそう思った。
 ちょっと引いてみよう。
 賽銭箱のまえにしゃがみこんだ女性が、膝のすぐ前に落ちている銅貨に気をとられている、それを主人公が陰から見張っている、という場面。

……彼女はもう十九か二十歳に見えたほど大柄で、色の白い脂肪質な皮膚には、一種の光沢をもっていた。その澄んだ大きな目は、ときどき、不安の瞬きをしていた。
 私はそのとき彼女の左の手が、まるく盛り上った膝がしらへかけて弓なりになった豊かな肉線の上を、しずかに、おずおずと次第に膝がしらに向って辷(すべ)ってゆくのを見た。指はみな肥り切って、関節ごとに糸で括ったような美しさを見せていて、ことに、そのなまなましい色の白さが、まるで幾疋かの蚕が這うてゆくように気味悪いまで、内陣の明りをうけて、だんだん膝がしらへ向って行った。……

 エロ本と紙一重のような、あやしく扇情的な描写だ。「性に目覚める頃」を読んだのは、去年だったからもう60をすぎていたが、詩集は若いころに読んで、感心していた。感心したぶん、詩人が余技のように小説に手を出すと思って、興味がわかなかったか。
 それがこんな、ひとに隠れて「内陣の明かり」のもとで読みたいような散文を書いていたなんて。思いがけない鉱脈を見つけた気分だ。
 もう何十年もまえの夏、大田区に住む友だちといっしょに馬込文士村を散策した。やたら暑くて、川端龍子記念館に入ると、われわれ以外客がいなくて、とても涼しかったのをおぼえている。