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ほんとうに好きなひと

 『中勘助の手紙』(稲森道三郎著)は、中勘助ファンの稲森さんが、終戦直後の一時期、静岡県の手越のあたりに住んでいて近所の中勘助と交流があった、そのころの手紙をもとに書かれた本だ。「序にかえて」を小堀杏奴が書いている。
 なぜ小堀杏奴が書いているのかといえば、中勘助の友達であり、彼女も近所に住んでいたという、そういう理由だったと思う。
 女性が求婚された。どうしたらいいか、女性は中勘助に相談した。求婚してきたひとが勘助の友人だったから。中勘助は、彼は申し分ない奴だから受けたらいいというふうに答えた。女性はそのことばにしたがって結婚した。
 という話を小堀杏奴ははじめて、その女性の相談は、そのまま中勘助への求愛であり、女性の「心情を切なく、哀れに感じた」と書いている。
 杏奴さんがどういういきさつで勘助さんと知り合ったのか、まだ調査していないのでわからないが、他人の著作の「序にかえて」でいきなりこの話題から入るのは、すごい。杏奴さんもきっと勘助さんが好きなのだろう。
 中勘助は、一高から東大へと進んだ。そのころの友人たちの間で、うえの相談してきた女性は憧憬の的であったらしい。女性は、鏑木清方の「築地明石町」という美人画のモデルでもあるらしい。絵は切手にもなっているそうだから、郵便好きのぼくもどっかでお目にかかっていそうだ。
 勘助さんも当の女性のことを随筆などに書いてはいるらしい。けれど、なぜか名前のところを〈□□□様〉と伏せ字にしているらしい。
 ひとから求婚された、どうしたものだろう。そう相談されたとき。相談してきた女性のことがじつは好きだったら、相談された側としてはどうするか?
 ぼくならまず、なぜ自分に相談したのかを推理する。その求婚を断って、ぼくと結婚してください! とはなかなか言えないだろう。急だし。学校時代に漱石の『こころ』を読まされたものとしての呪縛、のようなものもある。考えすぎかもしれないが。
 勘助にいわれて結婚した女性は、子供にも恵まれ、幸せに暮らしたそうな。

 ところが何年か経って、その幸せな家庭の、旦那が亡くなった。勘助の友人だったひとだ。夫に死なれた女性は、家族と離れてひとり暮らしをしている勘助さんのもとを訪ねた。そして告白する。以前からあなたを思っていたと。
 読む者は心配するところだ。なにを心配するのか? と問われてもうまく答えられない。ここらへんにゴシップの醍醐味があるのではないか。
 まえに富岡多恵子の『中勘助の恋』を読んだことがある。読み終わったので古本屋さんに買い取ってもらった。最近もう一度読みたくなって、別の古本屋さんから入手して開いてみたら、勘助さんに相談してきた、鏑木清方の絵のモデルになった、万世(ませ)さんという女性の写真が載っていた。
 おどろいた。一読目にも見ていたはずだが、なぜ印象にのこっていないのだろう。