歴史思考から考える学校教育(その3)

 前回は歴史思考を学校教育で行うことの難しさを下記2つの視点で書きました。

①受験教育の弊害
②教員忙しすぎる問題

 
②教員忙しすぎる問題については、教員の状況の記述にとどまっているので、なぜ歴史思考が学校教育でできないかを記載していきます。

理由①:学ぶ時間がない!!
 
歴史思考を授業で行うには大きく3つの要素が必要だと思います。

①資料の読み込み
②歴史をどう社会に活かしていくか解釈する力
③解釈した内容をわかりやすい授業に落とし込む力

 
前回書いたように、教員の仕事は膨大にあります。残業100時間をした後で、コテンラジオのような膨大な資料の読み込みはかなり厳しいものになります。教員になってからこの量の読み込みをして、授業にしていくのは不可能なので、ある程度大学生のうちに知識を蓄えておく必要があります。コテンラジオの場合は一つの項目で30冊以上の参考文献があります。卒論1本かける量です。大学生のうちに日本史、世界史、原始時代~現代までそのレベルと深めていくことはかなり難しいでしょう。そもそも各時代で研究室(専攻)が別れることからも想像ができます。

 じゃあ、コテンラジオほど読み込むのは難しいけど、2,3冊なら行けるんじゃないか。これは普通の講義のレベルなのでできる可能性はあります。ここでネックになるのが②歴史をどう社会に活かしていくか解釈する力です。新卒で教員になる人は、多くの人が経験するであろう一般企業に勤める経験がありません。そのため、社会生活(企業に勤める)をリアルに感じることはとても難しいです。教員になってから他業種の情報を集めることは難しいです。文献で読んだ歴史から社会生活に活かせるポイントを抽出することが難しいです。
※ヘレン・ケラーのストーリーから人は存在するだけで価値がある
 キリストから人の評価は1000年単位で見ないとわからない
 といった、抽出は一般のサラリーマンでも訓練が必要だと感じます。

 さらに難しいことが、読み込んだ内容、解釈した内容をわかりやすく授業に落とし込んでいくことです。授業は45分~50分という限られた時間の中で、何を伝え、何を残していくのかを設計していきます。これはコテンラジオでいう台本作りみたいなものだと思います。
 ポッドキャストと違う点は編集ができないこと。事前に何度も構想を練って、模擬授業で練習をして、授業を迎えるという時間が教員にはありません。かといって授業経験のない大学生が実際の生徒を想像して練った授業を作ることも難しいです。

理由②:チームがない
 
コテンラジオでは「①資料の読み込み/②歴史を解釈する力/③解釈した内容をわかりやすく落とし込む」をチームでやっています。そのため多くの文献をあたり、解釈を深め、本番を迎えることができます。
しかしながら、教員はこの流れを基本一人でやります。先駆者の授業研究をすることはありますが、授業の作成から本番まで一人でやります。教員も人間なので特性があります。資料から授業にするべきポイントをつかむのがうまい人、伝えるのがうまい人、内容をまとめるのがうまい人、様々です。
 教育学部の授業では、4人~6人で授業を作る講義もありますがそれぞれの個性を生かし良い授業になることは稀です。だいたい、優秀な人が一人で授業を作り、残りはお飾り状態になります。(僕の体験談ですが、他校や他専攻ではわかりません。)
 チームで授業を作ること、「3人寄れば文殊の知恵」を授業でする経験が極めて少ないと思います。教員不足が原因でそんなことにかまってられないという環境と大学で学べなかった経験不足を抱えた状態でいざ現場でチームで授業が作れるかというと難しい状況だと想像されます。

 教員が今の環境で歴史思考を授業で実践する難しさを書いていきました。
ただ、このまま難しいと言ってるばかりでは悔しいので僕なりに実践できる方法も模索してみたいと思います。その内容を次回書いていきます。

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