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おいしくない、母のごはん

 子供の頃、母の作るごはんが薄味で好きじゃなかった。作り置きの料理を袋に詰めて、他の場所のゴミ置場に捨てていた。 今振り返ると、とんでもないことをしていたと思う。


 当時、我が家は首里の坂の下にあった。母子家庭で一人息子だから母の関心は自分に向かった。のん気で忘れっぽく、同じことを何度も言われた。「朝ごはん食べてから学校行きなさいねー」「水ばっかり飲んでたらごはん食べれなくなるよー」「牛乳飲みなさいよー」。少なくとも五回は言われ、その度にこう答えていた、「はーい、はーい」。


 昔の会社は、週休二日ではなく土曜日も仕事だった。お昼ごはんは、作り置きの食事が用意されていた。ある日のメニューは、人参しりしり(人参の細切りを卵で和えて炒めたもの)、かちゅー湯(お味噌とカツオ節、ネギが入ったお椀に、後からお湯を入れて飲む沖縄のインスタント味噌汁)、チューリップのポーク(スパムより薄味で好きじゃない)、といったものだった。


 後ろめたさはあったが、いつもと同じように袋に詰め、ゴミ置場に捨てた。


 母の職場は家から車で5分ぐらいの場所にあったので、お昼ごはんを買ってきてくれるときもあった。好物はケンタッキーで、特に当時のメニューにあった「焼きおにぎり」が大好物だった。


 大学を卒業して上京した。東京は美味しいものがいっぱいあった。最初に食べた時の、「てんや」や「山頭火」の美味しさは衝撃的だった。食生活を注意する人はいないので、好きなものを好きなだけ食べた。


 30代中盤ぐらいから胃腸が衰えてきて、脂っこいもの、味の濃いものがきつくなり、油や塩分が控えめの健康的なごはんを好むようになった。そして気づいた。


 小学校4年生の頃に病気を患った。病名は「急性腎炎」。主な原因は細菌による感染症だ。入院中のごはんはものすごく薄味で美味しくなかった。母のごはんも薄味で美味しくなかった。でも、その理由は子供の体を気遣ってのことだったのだ。


 使い古された言葉だが、「親の心子知らず」とはこのことだ。


 「今日はどうされましたか?」と病院の受付で言われ、「風邪みたいです」と答える。問診票を受け取り、病歴の欄にいつもこう書く。「急性腎炎(小4)」。それを書くたびに母のことを思い出す。

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