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名札廃止問題という記事を読んで

結論から先に言ってしまうと、偽名を使えばよいコトであると思った。

源氏名や芸名のように本名ではない名前を使うコトをもっと一般的にしていくコトが出来れば問題の解決はもちろん、プラスよりよい結果を生み出すような気がしている。

まず名札を廃止する大きな要因が記事にも書いてあるように、「過度なクレーム」や「SNSなどによる個人情報の検索」によるモノであるのであれば、これらは廃止で防げるモノではないので名前がある、わかる状態のメリットの方が大きい気がする。

ゆえに個人を識別する為の名前自体は偽名で残した方がイイと思う訳だ。

結局、「過度な」と書いてあったりするようにサービスを受ける側の行き過ぎた行動が問題なだけであり、行き過ぎる人間は名札を廃止しようが過度なクレームは付けるし、名前はわからなくともネット上に平気で隠し撮りした写真をあげて晒したり、情報を求めたりもするだろう。

ゆえに時代とするのであれば、名札を廃止する流れではなく行き過ぎた行動をとる人間を法律で厳しく取り締まらなければいけない時代に入っているのだろう。

名札があった方が良い場合の事例の1つとして、明らかにサービスを提供する側に問題がある場合がある。

そういった際には、担当した人間を識別するために名前がわかるという状態は便利であるし、名前を背負っているという状態は意識にも働きかける。

これはもちろんよいサービスを提供してくれた際にも同じことが言える。

だがその名前は必ずしも本名である必要はないというコトだ。

記事の中に、安住アナウンサーの言葉として、

「そういう時代なのかなという感じも致しますが、ただ一方で人間は自分の名前を他人に呼ばれた時ものすごく幸せに感じるということのようです。その人に幸せを感じさせたくないっていう時は、おい!とか、ちょっと!そこの人!とか呼んでれば当然その人は幸せな感じがしないですよね。だから名前で呼ぶっていうことは大事なことだと思うんですが、難しい時代に入りました」とした上で、「時代のせいにしちゃいけませんね。どうぞ私の個人情報、検索してください」

https://news.livedoor.com/article/detail/24508010/

上記内容が紹介されていた。

確かに「おい!」とか「お前!」と粗野に扱われるより名前で呼ばれた方が気持ちがよいモノである。

ただ、これは本名で呼ばれる場合に限るとはならないはずだ。

自身のコトであると認識している名前であれば、本名でなくとも同じように感じるコトが出来るモノであると私は思う。

昨今では夜の職業や芸能人に限らず、本名とは別の名前を多くのひとが持っている。

例えばSNS上でのニックネームであったり、オンラインゲーム上でのプレイヤー名などである。

チャット上、通話中はもちろんオフ会など実際に会う場合でもプレイヤー名などで呼び合い、本名を知らないまま付き合いを続けるというのは割りとよくある形である。

そういった場所、場面で本名であることの重要性は低く、人によっては本名以上に価値のある名前を生きているひとだっている。

またこのような昨今のネットを介した繋がりの形だけではなく、例えば釣りをしに同じ場所でよく顔を合わせる人たちが、お互いの素性は特に詮索しないままにあだ名を付け呼び合い、一定の距離感を保ったままコミュニケーションを取ったりするというようなコトは昔から多くのコミュティの中で存在することである。

偽名というとあまり印象の良い感じはしないが、源氏名、芸名、アカウント名、ニックネーム、あだ名、ペンネームなど様々な呼び名で本名以外の名前を持つことが出来、大袈裟に聞こえるかもしれないが、その名前での人生を歩むことが出来る。

これって結構大事というか、素晴らしいことであると私自身は思うのだ。

ここで仕事をする上で本名以外の名前を持つコトのメリットを改めてあげてみたいと思う。

1つ目は個人情報の保護

記事内でも懸念されていたように、SNSによって詮索されたり何らかの手段で情報が割り出されるようなリスクが本名よりは減ることである。

2つ目は意識の変革

この部分は私が冒頭でもあげたよりよい結果を生み出すモノになりうる内容である。

自分が仕事に就く時は、名前のキャラになりきるというか別の名前に変わるという状況はオンとオフの切り替えが明確にしやすく、かつ好きな名前で過ごせる時間はモチベーションにも影響を与えるような気がするのである。

もちろん本名でやっている人もいるが夜職のひとや芸能人などは仕事中求められる、あるいは求めるキャラクターになりきってセルフイメージを高く持てる人がプロとして高い位置にいるように感じる。

そしてセルフイメージを作りあげるには、別の人間として生まれ変わらせる方が作り上げやすいようにも感じる。

死して生まれ変わりを期待せずとも、名前を変えるだけで別の人生を歩むコトが期待出来るモノである。

これもまた人生などと少し大袈裟な感じにしてしまったが、名札の有無が問題になるのは主に接客をするようなサービス系の仕事に多い訳であり、プロとしての意識を1つ上の段階に持っていくための手段としても仕事用の名前という存在は割りと大きな効果を生み出せるのではないかと思う訳である。

何となくだらだら書いてしまったが、まとめると名前はあった方がイイが本名である必要はなく、さらにセルフイメージを多くの人が持てればサービスの質が向上したり本人のモチベーションの在り方も変わる。名札を廃止するのではなく、行き過ぎた行動をする人間をどれだけ少なく出来るかこそが重要な問題なのであるということだ。

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