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植物への憧れ、肉体への囚われ

私たちは見えない糸を持っている。

緊張?良識?感性?あるいは現世とのつながり?
何かはわからないのにそれが無いと自分が壊れてしまう怖さだけは何よりも理解している。

狂った人を見るたびに、私たちと何が違うのだろうと思う。
どこが私と彼らを分け、分かり合えない、向こう側に向かってしまうのだろう、と思う。

けれど、私とは決して違うということで少し安心している自分がいる。常識と比較して、自分がこちら側にいることに安らいでしまう。その意識こそが彼らをより苦しめているということは分かっているのに決して止められない。いつ自分の糸が切れてしまうかもわからないのに。

彼らにやめてくださいと言われるたびに、どうして、という気持ちと、やめてあげて、という気持ちが鋭く溶け合う。

その間中も、こびりついたように、こちら側にいる自分がいる。まるで、あちら側が正しくてこちらに止まっているこちらが狂っているように思っている。

そしてその裏返しこそで正気を保っていることを知っている。
彼らが狂えば狂うほど、こちら側にいるのだという安心感に包まれる。決して拭えない、どろりと浴びた返り血を美味だと味わってしまっている。

わかっている、自分の体しか操ることができないことを。自分を苦しめることでしか、世の中の醜さには対処できないことを。身体を傷つけ、心を傷つけ、狂っていることでしか生きていられないその感覚を。

感覚を鋭くすることは恐怖への近道だ。

頭に支配された体の中に生きることは苦しいことだ。植物としていきたいという欲望は、現世の何よりも鮮明に生きるということを表しているのかもしれない。

素直に書きます。出会った人やものが、自分の人生からどう見えるのかを記録しています。